再び取材をするために、爆破テロ直後のバンコクへ
再び関根のアパートを訪れたのはそれから2カ月後のことだった。
ちょうどその時期に当たる2015年8月17日、バンコク中心部にある最大の商業地域、ラチャプラソン地区で手製爆弾が炸裂して20人が死亡、128人が負傷するという大惨事が起きた。負傷者の中には日本人駐在員も含まれており、爆発物から飛散した破片を腹部などに受けて病院へ搬送された。ラチャプラソン地区には、東南アジア最大級と言われるショッピングモール「セントラルワールド」やバンコク伊勢丹、高級ホテルなどが立ち並ぶ。日本で言えば新宿駅東口のアルタ前が爆破されるのと同じようなものである。
爆破テロからおよそ1週間後に私が現場を訪れた時には、爆心地となったエラワン廟中央の祠は白い布で覆われており、中を見ることはできなかった。爆破の衝撃を示す残骸はすべて撤去され、掃除が行き届いていた。祠の前に設置された線香立てからは煙がもうもうと立ち上がり、そのにおいが鼻腔を刺激する。献花台には黄色い菊が山と積まれ、その前で祈りを捧げる人々の往来が絶えない。すぐ近くでは煌びやかな衣装に身を包んだタイ人の若い女性たちが、木管楽器のリズムに合わせ、ゆったりとした歌を歌いながら両手両足をくねらせて踊っている。
夕暮れ時が迫ってくるにつれ、迷彩服姿の兵士や警官が徐々に増えてきた。まだ事件直後だからタイの治安当局も厳戒態勢中なのだろう。
エラワン廟を囲う鉄柵には犠牲者を悼む花束6本が立てかけられていた。その花束と一緒に、英文が書かれた白い紙も添えられていた。
〈タイのために、そしてバンコクのために祈りを捧げよう〉
現場には、マイク片手に取材協力者を探す若い女性キャスターたちの姿も見られた。私はすぐ近くのベンチに座っていた若いタイ人女性に今回の爆破テロについて話を聞いてみることにした。
「観光客をはじめ多くの人々の命が不幸にも失われ、彼らの人生が破壊されたわ。なぜこんなことが起きてしまったの? 現場にいた人たちもまさか自分たちがこんな被害に遭うとは思ってもいなかったはず」
別のベンチには白髪の欧米人男性が心地好さそうに座っていた。米国ペンシルバニア州在住の60代で、観光旅行で訪れたとのことだった。
「爆破テロが起きた時、私はチェンマイにいたんだよ。ちなみに今泊まっているホテルはこの現場の真横。間一髪だったね」