「アジアン・ジャパニーズ」を生んだ、バンコクの熱気
ようやく憧れの東京で同棲生活が始まった。
仕事はまたしても派遣である。携帯電話の契約センターで顧客情報をひたすら入力した。この頃、アジアを旅する日本人たちのルポルタージュを読んで感化された村上が、同棲相手と一緒にタイに行ったのが最初のアジア旅行だった。
「そこですごい面白い人と出会って、何年も旅している日本人とか。まさに私が会いたかった”アジアン・ジャパニーズ”に死ぬほど会えたんですよ。肌も真っ黒でヒッピーみたいな旅をしているカップルにも出会いました」
『アジアン・ジャパニーズ』とは、写真家の小林紀晴氏が1995年に発表したデビュー作で、アジアを漂流する若者たちの心の内を描いてベストセラーとなった書籍のタイトルだ。ちなみに私もこの本に影響を受けてアジアを放浪した一人である。
私がバンコクを初めて訪れたのは、東京で学生生活を送っていた20代前半の頃。
その時の記憶は鮮明に残っている。夜更けのドンムアン国際空港に降り立った私は、ガイドブックを片手にエアポートバスに乗り、カオサン通りに到着した。安宿を探しながら歩いていると、前からボディコン風の派手な衣装を身にまとった複数のニューハーフが何か言葉を発しながら近づいてきた。その途端、私はびびって逃げ出した。到着初っ端から動悸が激しくなった。英語もほとんど通じない。汗まみれになってようやく安宿を見つけると、受付で年の頃30前後の浅黒いタイ人女性の無愛想な出迎えを受けた。ところが、彼女の足元に目を向けると、なんと男性が上半身裸で仰向けになっているではないか。顔はタオルで覆われていたが、肌の色からするとおそらく欧米人だ。彼女の素っ気ない態度は「取り込み中に邪魔をするな!」ということだったのだ。
一体どうなっているんだ、このバンコクという街は。
当時日本の常識しか持ち合わせていなかった青二才の私は、この旅で様々な日本人旅行者たちに出会い、一緒に屋台で飯を食っては旅先の情報を交換し、ある時は同じ目的地まで一緒に旅をした。
帰国後に私が痛感したのはアジアの熱気との温度差だった。東京の満員電車に揺られて通学する日々にたちまち鬱屈した気分を募らせるようになった私は、夏休みや春休みの度にバックパックを背負ってはアジアへ飛び出すことをくり返した。