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「今さら地元に帰ってもね…」成長するアジアで夢を掴もうとバンコクへ渡った女性に迫る“皮肉な現実”

『だから、居場所が欲しかった。』より #1

2021/06/30
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 旅に答えなどない。

 それでも若者たちは何かを求めてアジアを目指した。かつてそれは「自分探し」と謳われていたが、探し物が具体的な何かである必要はなかった。たとえ現実逃避でしかなかったとしても、アジアの人々や旅先で出会った日本人たちは、そんな弱い私を優しく包み込むように受け入れてくれた。そこには確かに「居場所」があった。日本と違う景色、違う食事、違う言葉を話す現地の人々との出会いを通じた非日常的体験。そこに意味や理由付けといった小難しい理屈は不要で、ただただ楽しかった。

地元で惨めな姿をさらしたくない。恋人にふられ、バンコクへ

 恋人と上京して同棲生活を送っていた村上も、旅先でそんな若者たちに出会い、それからというもの、休みを利用した東南アジア一人旅が始まった。

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 だが、2011年の年明け、旅先から帰国した村上を待っていたのは、5年間付き合った恋人との別れだった。原因は相手の浮気。以前から仲がぎくしゃくしていたが、恋人の携帯電話を調べたところ、別の女性と関係を持っている疑いが浮上したのだ。

「彼氏と別れて、毎月20万円程度の給料で東京に一人暮らしするとしたら貧乏生活と変わらないじゃないですか。派遣だし、ボーナスもないし。だから東京にいる意味がなくなったんです。地元に帰ってもよかったんですけど……。でもこっちは浮気をされて捨てられ、相手は同じ地元の人なので、共通の知り合いに『こいつ一人で帰ってきてるよ』って思われるのも悔しくて。だから意地でも帰るものかと」

 自ら東京へ出た手前、惨めな姿をさらしたくなかった。

「恥ずかしい。悲しすぎるじゃないですか! 自分が振って帰ってきたんだったら凱旋みたいな感じですけど、振られた挙句に都落ち。それで携帯ショップでバイトなんか始めたら誰かしら知り合いに会いますよ。狭い町なので。そんなのは死んでもごめんだと。相手の男より絶対に楽しい人生を送ってやると思いました。それでネットで『タイ』『就職』のキーワードで検索したら、真っ先に出てきたのがコールセンターだったんです」

 そして村上はバンコクへ誘われるようにして日本を飛び出した。

 それから4年。

バンコクの朝の通勤ラッシュ 写真=筆者提供

 インターン制度で困窮生活を1年ほど続けた後、限界を感じた村上は、コールセンターの正社員になった。しかし、その2年後に退職。コールセンターの離職率は高く、毎月のように1人、また1人と職場から誰かしらが消えていく。

「タイ語も話せないのにタイにいて、日本人とだけつるんでいる自分が嫌でした。せめてタイ語が話せるようになりたいって思って、コールセンターを辞めてタイ語学校に通うことにしたんです」