昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2021/06/07

genre : ライフ, 歴史, , 社会

 ここで駅に入ってそのまま電車に乗って東京に戻ってもいいのだが、それではさすがにつまらない。あえて改札を無視してその脇のさらに細い道を進んでみた。

 

東京・町田に“シルクロード”!?

 南口のラブホ街の細い道は平日の真っ昼間ということもあってか人通りなどなかったが、小田急町田駅の傍らの細い道は窮屈なくらいに人が多い。いまの世情でこれだから、以前は通るのも苦労するほどだったのではなかろうか。そしてその先には、ザ・繁華街。チェーンのファーストフードやカラオケ店、都市銀行の支店が鎮座していて、これぞ駅前の賑わいである。

 

 まるで“駅裏”のような細い道の先で五叉路になっているこの賑やかな駅前、東急ツインズ方面に向かう道はパークアベニューなどというシャレた名前がつけられていて、とにかく町田駅周辺の中心のひとつであることは間違いなさそうだ。

 

 さらにこのあたりをうろうろ歩いてると、もう少し立派な広場に出た。小田急線の踏切がすぐ近くにあって、小田急百貨店の入り口もある。カリヨン広場と名付けられたこの広場も、人波の絶えない賑やかな駅前だ。もちろんあらゆる商業施設が揃っている。そしてこの広場の端っこに、「絹の道」と書かれた小さな石碑が建っている。絹の道、すなわちシルクロードである。東京・町田にシルクロードとはこれいかに。そのヒミツを調べてみた。

 

日本の近代化を支えた「絹の道」

 町田駅を中心とする一帯は、かつて原町田と呼ばれていた。もちろん現在のような賑やかな町になったのは、1908年の横浜線と1927年の小田急線町田駅が開業したことに大いに依っているのだが、それ以前からこの地はそれなりに栄えていたようだ。

 それというのも、江戸時代の中頃から生糸や繭の市が開かれていたのだという。つまりは江戸時代のそれが今の町田駅前の繁華街のルーツなのだ。そして「絹の道」とは、幕末の横浜開港以降に八王子で盛んに生産された生糸を横浜に運ぶための道である。

 幕末から明治初期にかけての日本にとって、生糸は貴重な輸出製品だった。海外でもアヘン戦争で蚕の生産国である清国が荒廃、フランスやイタリアでは蚕の病気が大流行という事情があって、日本の生糸の需要も高かった。

 そうした中で、八王子の生糸を横浜に運んだ「絹の道」は日本の近代化を支えた道といっていい。そして外国人たちも「絹の道」を通って(つまりは町田を経て)八王子に向かい、絹の買い付けなどをしていたという。開港前は八王子の生糸はほとんどが甲州街道で江戸に向かって運ばれた。それが開港によって横浜に運ばれるようになった。町田はそうした道筋の途中の町であり、結果として明治以降東京都心ではなく横浜との結びつきを強めていったのである。