1968年12月10日に東京・府中市で発生した現金強奪事件、通称「3億円事件」。冷たい雨が降る冬の日の朝、東芝府中工場の従業員に支給される予定だった約3億円の現金が、白バイ警官に扮した犯人に現金輸送車ごと奪われた。現在の貨幣価値に換算すると、ゆうに20億円以上となる大金を奪い去るという「戦後最大の強盗劇」の捜査は、当初の予想とは異なり、難航を極めていた。

 事件から約10カ月後には、警察は事件の重要情報を呼び出した5名の推理作家に伝え、彼らに意見を求めるという型破りな手段までとっていた。そしてその後、事件は急展開を迎えることになる――。(全2回の2回目。1回目を読む)

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「八兵衛さんはなぜ容疑者のアリバイ調べもせずリークしたのか」

 刑事たちが作家5人に極秘の聞き取りをしてから約2カ月後の1969年12月12日。毎日新聞が超ド級のスクープを放つ。

『三億円事件に重要参考人』

当時の毎日新聞

 このスクープが社会面のトップを飾った新聞が、まさに配達されようとしていた早朝、警視庁は府中市に住む運転手K氏(当時26歳)に任意同行を求め、同日中に別件逮捕した。K氏は、脅迫状の特徴からマークされていたカナタイプ経験者で、地元に土地勘もあり、350㏄のバイクにも乗っていた。

「当時、僕はチェ・ゲバラ伝を書くためにキューバへ渡航する準備で忙しかった。容疑者浮上のニュースを聞いて、大いに驚きましたよ。やはり、捜査本部はあのとき脅迫状の分析を早期に詰めようとしていたのかなと思いました」

 

 事件からちょうど1年目の容疑者逮捕――だが、その直後に事態は暗転する。犯行時刻には、東京・日本橋で民間企業の入社試験を受けていたというK氏のアリバイが確認され、翌日に釈放。“大スクープ”は世紀の誤報となり、誤認逮捕という失態を演じた捜査本部には厳しい批判が浴びせられた。

 この容疑者の情報をリークしたのは平塚八兵衛自身だったことを、後に毎日新聞記者の井草隆雄氏(故人)が回想している。平塚は、自宅に呼び寄せた井草氏に捜査資料を示し書き写させたものの、ふと「筆跡が違うんだよなあ」と苦々しげにつぶやいたという。 

元毎日新聞記者の故・井草隆雄氏

 当時の事情を知る元全国紙記者が語る。

「下山定則国鉄総裁が轢死体で発見された下山事件(1949年)で、朝日は他殺説を展開し、毎日は八兵衛さんの主張する自殺説を支持した。以来、八兵衛さんと毎日のパイプが強固になったと思います。それにしても、八兵衛さんはなぜ容疑者のアリバイ調べもせずリークしたのか。いまでもよく分かりません」