社会派の推理小説、スパイ小説の名手として知られた直木賞作家・三好徹(本名・河上雄三)さんが今年4月3日、誤嚥性肺炎のため死去した。90歳だった。
三好さんは1931年生まれ。横浜高等商業学校(現・横浜国立大学)卒業後、読売新聞に入社。記者として活動するかたわら小説を書き始め、1966年に『風塵地帯』で日本推理作家協会賞を受賞。同年読売新聞を退社し、1968年に『聖少女』で直木賞を受賞。人気作家としての評価を不動のものとした。
読売新聞においては、いまなおグループのドンに君臨する渡邉恒雄・読売新聞グループ本社代表取締役主筆と入社同期。入社試験の成績は三好さんが首席で、渡邉氏が次席だったというエピソードを、渡邉氏が自身の著書の中で明かしている。
「“河上三兄弟”と言えば、私たち昭和の新聞記者の間では有名でしたよ」
そう語るのは、読売のライバル朝日新聞の元編集委員(80)だ。
「三好さんの父は元国鉄マンで、兄の敏雄さんは一部上場の産業機器商社『第一実業』の元会長。三好徹こと雄三さんは読売のスター記者から売れっ子小説家に転身。そして弟の和雄さんは、東京地検特捜部でロッキード事件の捜査にも加わった元エース検事。特捜部長をつとめたあと、弁護士となってからは日本テレビのニュース番組でご意見番をつとめておられましたね。三好さんの人気作品の多くは新聞記者が主人公になっており、僕らにとってはそれが誇りでもありました」(全2回の1回目)
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「戦後最大の強盗劇」に日本は騒然
さて、ここに1本の音声データが残っている。
三好さんが、戦後最大の未解決事件と呼ばれる「3億円事件」(1968年)について語ったものだ。
事件発生から40年の節目を迎えようとしていた2008年秋、三好さんのご自宅にうかがい、改めて事件に関する証言を求めた。
三好さんは、3億円事件について並々ならぬ関心を抱いていた。事件発生当時はすでに読売を退社し専業作家となっていたが、捜査幹部や現役の警視庁担当記者に対する取材を独自に重ね、公訴時効成立後の1976年に小説『ふたりの真犯人 三億円の謎』(光文社、のち改題し文春文庫)を発表している。
「そうか、40年か。もうそんなにたつか。あなたが生まれる前の話? まいったな、ハハハ…」
自らいれたインスタント・コーヒーを記者にすすめると、当時77歳の三好さんは苦笑した。
3億円事件は、1968年12月10日に東京・府中市で発生した現金強奪事件である。冷たい雨が降る冬の日の朝、東芝府中工場の従業員に支給される予定だった約3億円の現金が、白バイ警官に扮した犯人に現金輸送車ごと奪われた。
当時の大卒初任給は平均約3万円。現在の貨幣価値に換算すると、ゆうに20億円以上となる大金を奪い去るという「戦後最大の強盗劇」に日本は騒然となった。