人気推理作家を集めた警視庁が聞きたかったことは…
梶山季之は、草創期の週刊誌ジャーナリズムで活躍した「トップ屋」として知られ、1969年の長者番付文壇部門で1位となった人気作家である。また、三好、結城、生島の3人はいずれも直木賞作家だ。佐野も直木賞の候補作家である。
当代の人気推理作家を全員集合させた警視庁は何を聞きたかったのか。
「2人の刑事が“脅迫状”の実物を持ってきまして、そこに書かれた文章からどのような犯人像をイメージするかと聞かれたわけです。僕や佐野は新聞記者出身(ともに読売出身)だから、事件取材には慣れているが、文章心理学や筆跡鑑定の専門家ではない。捜査のプロがアマチュアの推理作家に意見を求めたわけですから、極めて異例のことだったと思いますよ。執念を感じるとともに、相当、捜査が難航しているなという印象でしたね」(三好さん)
刑事が示した「脅迫状」は、事件において重要な意味を持つ証拠品だった。
3億円事件が発生したのは1968年12月だが、この年の4月以降、多摩地区では多磨農協に現金を要求したり爆破予告を繰り返すなどの「脅迫事件」が断続的に起きていた。事件発生4日前には、東芝にボーナスの現金を運ぶ役回りだった日本信託銀行の支店長宅にも脅迫状が送りつけられている。
「少なくともこの脅迫状を書いた人間はそう若くはない」
一連の脅迫状は、その筆跡から同一人物が作成したものと断定され、「脅迫状の作成者=3億円事件の容疑者」という構図がほぼ確定していた。
「当時、例のモンタージュ写真のイメージもあって、犯人は20代前半くらいまでの若い男というのが定説になっていた。しかし僕は、少なくともこの脅迫状を書いた人間はそう若くはない、僕と同世代かそれ以上だと言ったんです。僕は旧制中学校制度の最後の卒業生で、僕らまでの世代と、それ以後の世代では、漢字、送り仮名、書き言葉の使い方がかなり違うことを知っていました。脅迫状にあった“オヌシ”などという言葉は20代の若者は使わないし、使ったとすれば高度な偽装で、いずれにせよ若者にできる芸当じゃない」(三好さん)
たとえ現金強奪の実行犯が若者だったとしても、脅迫状を書いたのはもっと年配の人物であり、三好さんはそれを「複数犯行説」の理由の1つとして挙げた。
「僕ら5人の作家は、脅迫と現金強奪が同一犯という点で意見が一致していました。結城昌治は、“ウンテンシャ”などといった特殊な言葉から、警察関係者か、車両に詳しい業界の人間であると主張していましたね」