「真犯人しか知り得ないはずの非公開情報を捜査幹部から聞いていた」
三好さんは、それ以降も3億円事件の捜査関係者に取材を重ねた。
時効成立まであと3ヵ月となった1975年9月には、『週刊読売』(現在は休刊)誌上で3億円事件の「捜査担当責任者座談会」なる企画が組まれ、浜崎仁氏(事件発生当時の捜査一課長)、笠間主計氏(捜査一課長)、北野一男氏(捜査一課長代理)、伏見勝氏(読売新聞社会部記者)が出席。三好氏はこの座談会の司会をつとめている。
現職の捜査一課長が週刊誌の座談会に登場するのは極めて異例だ。笠間氏と北野氏は、この事件の犯人像について、すでに警視庁を去っていた平塚八兵衛と根本的に異なる考えを持っていた。彼らは複数犯説を支持していた三好さんと信頼関係があったのだろう。そうでなければ座談会に出席するはずがない。
「時効成立後、3億円事件の自称実行犯が次々登場してね。なかには本ボシかもしれないと思わせるような告白をする人間もいた。しかし僕は、彼らは真犯人ではないとすぐに確信できた。なぜかと言えば、書かないという条件で、真犯人しか知り得ないはずの非公開情報を捜査幹部から聞いていたんです」(三好さん)
犯人の自白の信用性を高めるものが「秘密の暴露」だ。
警察や検察が捜査情報をみだりに公開しないのは、取り調べにおいて犯人しか知らない情報を引き出すためでもある。
発煙筒とともに現場に残されていたもの
犯行があった日の朝、ボーナス約3億円を積んだ日本信託銀行の現金輸送車(セドリック)がニセの白バイに止められた。警官に扮した犯人は「ダイナマイトが仕掛けられているかもしれない」と行員4人を退避させ、車の下にもぐり点検するふりをしつつ、用意していた発煙筒に火をつけた。煙を見た4人がさらに遠ざかると、犯人はキーがささったままのセドリックに急いで乗り込み、エンジンをかけると悠然と現場から走り去った。
実はこのとき、発煙筒とともに、あるものが現場に残されていた。
「燃焼して煙が出なくなった発煙筒の残骸とともに、使用済みのマッチが落ちていたんです。当日は雨が降っており、犯人はマッチで発煙筒に火をつけようとしたが、なかなか点火しなかった状況が残されていた。後になって、多くの自称実行犯が、発煙筒のヒモを引いたとか、ライターで火をつけたなどと語っていたが、警視庁はそういう連中をまったく相手にしていなかった」(三好さん)