一般には知られていない中堅ゼネコンの社長にもかかわらず、永田町では知らぬ者のいない有名人だった男が、2020年12月17日に帰らぬ人となった。その男の名前は水谷功。小沢一郎事務所の腹心に次々と有罪判決が下された「陸山会事件」をはじめ、数々の“政治とカネ”問題の中心にいた平成の政商だ。
彼はいったいどのようにして、それほどまでの地位を築き上げたのか。ノンフィクション作家、森功氏の著書『泥のカネ 裏金王・水谷功と権力者の饗宴』(文春文庫)より、芸能界でも幅を利かせていた男の知られざる正体に迫る。(全2回の2回目/前編を読む)
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運転手の個人手帳
2月7日の初公判で、検察側が読みあげた証拠目録のなかに、とりわけ関係者たちの耳目を集めたものがある。水谷建設東京支店の運転手が持っていた個人手帳だ。そこには、会社の運転日報に書かれていない記載があった。
平成16(04)年10月13日東京駅、○×専務。10月15日、東京駅社長─。
焦点の全日空ホテルにおける1回目の現金授受当日のメモ書きだ。関係者によれば、東京地検特捜部は、運転手からこのときの模様を取り調べ、2通の供述調書にまとめた。実はその調書の末尾に、13日から15日までの3日間にわたる運転手の手帳のコピーが添付されているという。
証人尋問の意図
7月まで予定されている公判では、検察・弁護側で合計14人の証人出廷が申請された。うち12人が裁判所に公判への出廷が認められ、証人尋問が決定している。その証人のなかで、水谷建設の関係者が6人と、半分を占めている。
水谷建設関係者で検察側証人として出廷するのは、申請した5人のうち4人だ。当の水谷建設元社長、川村尚をはじめ、裏金の仮払い手続きをした財務担当常務の中村重幸、クロネコヤマトの紙袋に入った現金を新幹線で運んだ専務、さらに日本発破技研社長の山本潤という顔ぶれである。かつて小沢事務所で水谷建設の担当窓口だった高橋嘉信も証人申請されたが、初公判時点では出廷が留保された。東京地検関係者が、これまでの捜査状況を解説してくれた。
「つまり現金を渡した川村社長だけでなく、これらの証人により、全日空ホテルの1回目の5000万円について、そこに行きつくまでの流れを立証しようとしているわけです。カネの流れが複数の証言や物証により、トレースできている。たとえば水谷功の仮払いとして、裏金を出金した常務の中村重幸は、09年7月に供述調書をとられている。裏金の捻出方法として、中古重機の取引を使い、ブローカーと山分けしてきたとなっています」
これまで見てきたように、重機ブローカーに対する取調べをはじめ、特捜部が水谷建設の捜査を本格化させたのは09年夏だ。すると、裏金を出金した重役を真っ先に取調べていたことになる。特捜部は、そこから重機メーカーやブローカーを取調べ、最後に獄中の水谷功からの供述を得たかっこうだ。