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 石川は取調べで検事にこの件を追及されている。特捜部はこのメモ書きについて、石川が胆沢ダムに関わっていると睨んでいるのだ。メモ書きは、陸山会の会計責任者だった大久保へ川村が裏金を運んだときに立ち会った山本との出会いを記しているという。大久保は日本青年会議所の関係で山本と親しくなったが、実は石川も山本のことをよく知っている。というより、胆沢ダムの工事をめぐり、石川へ近づいたのが山本だ。

 そうして石川は山本を知り、大久保のところへ連れていった。それを記したのが「胆沢ダム 大久保 10万円」というノートのメモ書きなのである。

「調書に従って話すだけやがな」

 改めて証人出廷する予定の水谷功に尋ねてみた。

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「俺は言うことが変わってるわけやない。だいたい向こうからアプローチがあったから、こう(証人に立つように)なっとるんやしな。そのうちまだまだあっちこっちから、いろんな圧力がかかってけえへんかな、と心配してんのや。(公判で)こう言うてくれ、ああ言うてくれ、てな。そんなことに巻き込まれたら、かなわん。調書に従って話すだけやがな」

©文藝春秋

 06年当時、脱税事件でワンマン経営者が逮捕された水谷建設の裏金は、その実態が解明されずじまいだった。しかし、会社は大きく揺らいだ。そして、ワンマンだった水谷功の足場が崩れていく。

 脱税事件により、水谷家の四男である水谷功に代わり、会社の実権を握ったのが、三男の紀夫である。功と骨肉の争いをしてきたすぐ上の兄だ。社長だった川村は、紀夫にとっても姪婿にあたる。

 事件後、水谷建設では裏金に利用してきた功の莫大な仮払い勘定を清算しなければならなくなる。そのため、功は水谷建設の持ち株を手放さざるを得なかったという。そしてそのまま三重刑務所に服役した。

「その服役中、かつて傀儡として社長に据えたはずの川村が、紀夫側に寝返ったのです」

 と水谷功の側近たちは憤る。刑務所のなかでそれを知った水谷本人の心中は、穏やかでなかったに違いない。そうして水谷建設グループに本人の帰る場所がなくなった。その後、川村とは絶縁状態になる。

「社長の川村が小沢事務所に1億円を運んだ」

 当人が獄中でそう告白した理由は、自分を裏切った川村を追い落とそうとしたからかもしれない。ただし、裏金の事実は違っていないだろう。

 ゼネコンが日本の政治経済を下支えし、成長を遂げてきた時代、水谷功は文字どおり土木工事の泥にまみれ、汚れた裏金を自在に操ってきた。そんな裏金王の泥のカネに権力者たちが吸い寄せられ、ともにきらびやかな宴に酔いしれてきた。先に宴の主役は水谷功と書いた。が、そうではなく、水谷にしろ政官界にしろ、泥のカネに縛られ、支配されてきたに過ぎないのかもしれない。その宴の、ひと幕が下りようとしていた。

(了)

【前編を読む】《政治とカネ》小沢一郎と検察の攻防…「小沢先生の金を隠したかった」から一転? 秘書が供述を翻した“まさかの理由”