「特攻隊」誘導役が不時着
昭和20年3月11日の夜、そんなメレヨン島に一機の二式飛行艇が緊急着陸した。鹿児島県の鹿屋基地から出撃した「梓神風特攻隊」の針路誘導役を務めた二式飛行艇が、その任務を果たした後、エンジントラブルによって不時着したのである。
機長は慶應義塾大学出身の小森宮正悳という人物だった。当時、「世界最高峰の性能を誇る傑作機」と称された二式飛行艇には、小森宮を含め12名の兵士たちが同乗していた。
なんとか着陸に成功し、現地の部隊と合流した小森宮たちであったが、島内には機体を修理するための機材や器具もなければ、燃料となるガソリンもなかった。
小森宮たちは帰投の見込みを失った。二式飛行艇は、敵機の標的になるのを避けるため、海中に沈められた。
以降、小森宮たちも深刻な飢えに悩まされるようになった。島の兵士たちと同様、野生動物に手を出す日々へと入ったのである。
小森宮はネズミが最も美味いと感じたが、その珍味にありつけたのも2回だけだった。島内ではついに野生動物さえも取り尽くされようとしていた。
それでも、小森宮らに対し、現地部隊の将兵の中には、自身のわずかな食糧を削って世話をしてくれた者たちもいた。「招かれざる客」であるはずの自分たちに厚情を寄せてくれた将兵たちに対して、小森宮は戦後にこう書き記している。
〈筆舌に尽し難いほど悲惨困難な環境の中で、実に心温かいお世話になってしまった。今もって、なんとお礼申し上げてよいのか、言葉もないほど、熱い感謝の念が続いている〉(「なにわ会ニュース」70号)
乱れていく「島の規律」
その一方、島内に「食糧泥棒」などが増えていったのも事実だった。小森宮も大切にしていた航空時計を盗まれてしまったという。前出の歩兵砲中隊指揮班長、田邊正之は次のように記している。
〈飢餓が進むと生きんがために人間の理性は消えて、動物そのものの食本能へと変わっていった。危険を冒してでも、見つかれば厳しい処罰・制裁を覚悟で農作物を盗む者、日を追って事件も増して行く。どうせ死ぬのだ、腹一杯食って死にたい。これが誰もの当時の悲願であった〉(『永遠の四一』)
(文中敬称略)
(#2に続く)