彼らはなぜ人を殺めたのか。殺めなかった私との境界線は何だったのか。その理由を求めて、殺人事件の現場や当事者たちが生まれ育った町を徹底取材して見えたのは、近代の「闇」だった――。
戦前から現代まで、社会や時代状況に絡み合って起こった重大事件の現場を丹念に歩いたノンフィクション作家・八木澤高明氏の話題作『日本殺人巡礼』(集英社文庫)から、一部を抜粋して転載する。
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食糧が尽き、飢餓状態に置かれて……
上信越自動車道を下仁田インターチェンジで降り、山あいの国道を一路信州方面へと走る。両側に見える山々が目的地の南牧村が近づくにつれ徐々に迫ってきて、いつの間にか道は山の峰を縫うようになっていく。
下仁田から信州へと向かう県道45号線は、江戸時代中山道の脇街道として多くの旅人たちが行き交った。江戸時代には砥石の産地としても知られ、街道を通って江戸へと運ばれた。常に賑わいを見せた往時の街道の姿は、車の交通量も少なく廃屋も目につくような現在のようすからはにわかに想像しがたい。
この村で起きた事件というのは、戦中から戦後すぐにかけての食糧難が生んだ悲劇であった。食糧が尽き、飢餓状態に置かれた女性鈴木龍が娘のトラを殺害し、その肉を鍋にして家族で食べてしまったのである。戦争中の食糧難は、日本兵だけでなく一人の女性を人を食う羅刹に変えた。
両側に山が迫った谷沿いの道を車で走っていくと、斜面にへばりつくように家が建つ集落に出る。わずかばかりの斜面に農地を切り開き、先祖代々生き抜いてきたであろうことが、村の風景からはうかがえた。集落の中を車で回ってみたが、人の姿はない。南牧村は住民の平均年齢が日本一高いことでも知られる、いわゆる過疎の村である。家のまわりだけでなく、畑にも人影は見えず、毛無岩と呼ばれる岩山の見事な姿と澄んだ青空だけが目に入ってきた。しばし景色を目に焼きつけた後、ふたたび集落の中を流してみた。
「それなら、うちのオヤジに聞いた方が…」
庭で、車を洗っている男性をやっと見つけた。50代と思しき年齢から推察するに、男性は事件のことは知らないだろうが、噂話ぐらいは聞いているだろう。
「こんにちは、事件の取材でこのあたりを歩いている者なのですが」
「はあ、何のことでしょう?」
事件という言葉で、戦時中の忌まわしい村の記憶を呼び起こしてくれないかと思ったが、淡い期待は裏切られた。そうこちらに都合よく取材は進むものではない。気を取り直して、話を続けた。
「戦争中に、この村である女性が人肉を食べてしまった事件のことを取材しているんです。何か話は聞いていないですかね」
「はあ、聞いたことがないですね」
「どなたか、戦争中のことを覚えていらっしゃる方はいませんかね」
「それなら、うちのオヤジに聞いたほうがいいでしょう」
男性は車を洗っている手を休めて、「こっちに来てください」と手招きした。庭を見渡せる部屋では、父親と思しき人物がテレビを見ていた。