事件を起こした龍は、天野今朝吉という男性の再婚相手だった。年齢は32歳。彼女は小学校卒業後、村で蚕の繭を煮る仕事をしていた。1935年、22歳のときに最初の結婚をし、あさ子という名の一女をもうけるが、夫と折り合いが悪く2年後に離婚。翌年あさ子を連れ、同じ集落に暮らす天野今朝吉の後妻となった。今朝吉にも亡くなった妻との間にやす、トラ、みつよ、満雄の四子がいた。今朝吉と龍はさらに2人の子どもをもうけ、子どもは7人になった。龍と血がつながっていない3人はトラを除いて奉公に出された。
家には今朝吉夫婦、龍の長女あさ子、トラ、今朝吉と龍の間にできた2人の子どもの6人が暮らしていた。今朝吉は土地なしの日雇い労働者で、一家の生活は厳しかった。いま話を聞いている老人の家から50メートルほど離れたところにゲートボール場があるのだが、そこに家があった。
「食うや食わずの時代でね、米なんて取れないところだから、みんなイモとサツマイモだけで。そのイモだって供出しなければならなかったから、生活は苦しかったよ。今朝吉さんの家はいちばん大変だったと思う。家だって荷物を置く小屋みたいなもんだったけど、それだって自分で建てることができなくて、部落の人たちが建ててやったんだ」
一家の経済的な貧しさは、今朝吉の性格に起因するところもあったという。今朝吉は食い物に困らないと、日雇いの仕事に出なかった。そして、今朝吉の次女トラも精神的な障害を抱えていて、人と満足に話すことができず、学校にも通えていなかった。
「昔は今とちがって、学校に通わなくてもとやかく言われる時代じゃなかったから。集落にはトラさんだけじゃなくて通ってない子どもは多かったけど、トラさんはボーッとして、家の前によく座っていたよ。今朝吉さんはほとんど家にいて、傍から見たら怠け者なんだろうけど、生まれつきそうだったわけじゃない。もともとはここから歩いて30分ほどの集落に暮らすけっこうな家の出だったんだ。人に騙されたとかで財産を失って、それ以来、頭がおかしくなっちゃったわけじゃないけど、無気力になってしまった」
働かない夫と障害を抱えた義娘
当時の新聞報道などによると、今朝吉は低能であると書かれていて、老人の見解とは大きなちがいがある。彼を間近で見ていたこの老人の言葉に、私は信憑性を感じる。
松本清張は、この事件にただならぬ衝撃を受けたのだろう、事件をモチーフにして『肉鍋を食う女』という小説を書いている。作品の中で彼は、一家のことをこのように記している。
“朝吉は少し低能で、怠け者であった。日傭だが、仕事に出たり出なかったりした。百姓するにも土地を持たないのである。女房というのは三十三歳だが、朝吉のところへは連れ子をして来ている。巡査は、この家の前でいつもぼんやり佇んでいるトラという娘の姿がないのに気がついた。トラも精神薄弱な上に盗癖がある。年齢は十七だが、身体は大人のように大きかった”
新聞報道などを素材として描いているのだろう。財産を失い廃人同然になってしまった今朝吉が感じていた人生への絶望は、どこからも感じることはできない。
龍は血のつながっていない今朝吉の子どもを奉公に出していたと先に述べたが、今朝吉の次女トラだけは奉公に出さなかった。弁護士池田正映の著書『群馬県重要犯罪史』(高城書店)によれば、トラは3歳の頃、かつて脳膜炎と呼ばれた髄膜炎を患った後遺症で、学校はおろか家事もままならず、配給されるわずかばかりの飯を食らうだけの存在になってしまった。