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日本の歴史に描かれてきた事件

 トラの肉を食べたことによって、今朝吉の一家は、とりあえず命の灯を絶やさずにすんだ。

 我が国では、古くは日本書紀の中に人肉を食べたという記録が残っている。

 “郡国、大水い出て飢ゑたり。或いは人相食らふ” 

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 欽明天皇28(567)年、古墳時代後期のことだ。

 さらに江戸時代の天明の飢饉では、特に被害が激しかった奥羽地方を旅した博物学者の菅江真澄の記録が『菅江真澄遊覧記』に残されている。現在の青森県内のとある村で草むらに人骨が積み重なっているのを目撃した菅江真澄に、村人が言った。

「自分の産んだ子、あるいは弱っている兄弟家族、また疫病で死にそうなたくさんの人々を、まだ息の絶えないのに脇差で刺したり、または胸のあたりを食い破って、飢えをしのぎました。人を食った者はつかまって処刑されました。人肉を食った者の眼は狼などのようにぎらぎらと光り、馬を食った人はすべて顔色が黒く、今も生きのびて、多く村々にいます」

 人間は飢餓状態に陥ったとき、生き抜くためには、たとえ肉親であっても手をかけ食すということを、村人の言葉は表している。龍が取った行動はおぞましいことではあるが、人間の誰もが胸のうちに内包している本能なのかもしれない。

龍らが当時暮らしていた集落周辺の風景 ©️八木澤高明

「娘は空襲で死んだ」と答えた龍

 人肉鍋事件は、半年ほど経って発覚した。1945年秋のことだった。終戦後、村に駐在していた巡査が村人の戸籍調べをするために一軒一軒を回ったのがきっかけだった。

「前橋に親戚の家があって、おトラさんはそこに子守りには出ていたんだよ。実際は何事もなく帰ってきてたんだけど、龍さんは『空襲で死んだ』って答えたみたいだな。そう言われたら、あの当時は調べようがないもんな。近所だって誰もわからなかったんだから」

 事件発覚当時のことを思い出しながら、老人は語った。553人が亡くなった前橋空襲は1945年8月5日に起きている。巡査は龍の言い分に納得せず、さらに問い質すと、彼女は食べたと告白したのだった。

龍らが当時暮らしていた集落周辺の風景 ©️八木澤高明

「実際に食べるために殺したのかは、誰もわからないんだよ。だって時間が経っちゃってるもんな。あの時代はみんな栄養失調のような時代だから、ある日コロッと死んじゃって、それを食べたのかもしれない。村では、『龍がトラに勝った』なんて悪く言う人もいたけれど、みんな他人事じゃなかったんだ。食事にサツマイモが一本出れば、ご馳走の時代だったんだよ。龍さんがおトラさんを殺したことになってるけど、もしかしたら、栄養失調のせいでよろけて倒れただけで、食べずに埋めた可能性だってあると思うんだ。だって、誰も龍さんがおトラさんを殺してるところを見てたわけじゃないんだから」