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「娘を殺害し、鍋に…」飢餓状態になった母親が群馬で起こした“人肉鍋事件”という悲劇

『日本殺人巡礼』#1

2020/12/05
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子3人を外に出した隙に殺害

 1944年の暮れ頃には、今朝吉はほとんど日雇いの仕事に出なくなった。龍は、食糧が配給されると後先考えずに浪費してしまい、計画性がまったくなかった。近所から少しばかりの小麦などを分けてもらい、その日その日をしのいでいる始末だった。『群馬県重要犯罪史』によると、1945年3月26日、ついに近所からもらった米や麦が底をついた。昨晩つくったみそ汁も、今朝吉が朝一人で飲み干した。同居している4人の子どもに与える食事がなく、子どもたちはしきりに腹が空いたと訴える。隣の家から先日麦を借り受けた際に、「もうこれきりだ」と告げられ、他に借りる当てもなく、真から窮してしまった。

 午前8時頃、トラは居間の炬燵に一人、動く気配もなく座っていた。胃腸を病んでいたこともあり、日に日に痩せ衰えていた。その姿を見た龍は、トラの命はどうせ長くないから、殺害してつぶし、自分の腹を痛めて産んだ3人の子どもに食べさせたほうがよいと思うに至ったという。

龍らが当時暮らしていた集落周辺の様子 ©️八木澤高明

 3人の子どもたちに薪を拾ってくるように告げ、外に出した。午前10時頃、トラと2人だけになると、相変わらず炬燵に座っていた彼女を立たせ、居間にあった戸棚の仕切り板にその首を押し当て、後ろから両手で押さえつけた。龍は20分にわたって手を離さなかった。

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 トラが息絶えたのを確認すると、布団に寝かせ、龍はすぐに解体に取りかかった。彼女にとってトラは血のつながらない娘であり、わずかな食糧を浪費するだけの邪魔者でしかなかった。

 家にあった包丁と鋸を使って、頭と手足を胴体から切り離した。次に臓物を取り出し、胴体を上下に二分した。頭と足首は庭先に埋め、手足や胸、臓物を囲炉裏にかけた鍋に入れて調理した。

今朝吉の墓 ©️八木澤高明

 外から帰ってきた子どもたちには山羊の肉だと言って、3日間にわたって食べさせた。その日、久しぶりに日雇いの仕事に出ていた今朝吉が、黙ってその肉を食べたのか、それとも手をつけなかったのかは定かではない。