彼らはなぜ人を殺めたのか。殺めなかった私との境界線は何だったのか。その理由を求めて、殺人事件の現場や当事者たちが生まれ育った町を徹底取材して見えたのは、近代の「闇」だった――。

 戦前から現代まで、社会や時代状況に絡み合って起こった重大事件の現場を丹念に歩いたノンフィクション作家・八木澤高明氏の話題作『日本殺人巡礼』(集英社文庫)から、一部を抜粋して転載する。

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「家ではエロの話しをするようなことは…」

 小平には妻と子があり、妻は事件が発覚したとき、まったく信じられなかったという。「別冊新評 悪徳行動学入門」には小平の予審調書が掲載され、小平の夫婦関係や犯行手法が記されていた。

「家ではエロの話しをするようなことはありませんでした。小平とは私の兄嫁の知った方の口ききで結婚しました。(中略)私にはとても親切でした。私さえ腹をたてなければいい親切な人でした。(中略)小平は性欲が強いと思います。先夫に比べて小平の方が性欲が強いと思いますが、私は耐えられないというほどではありませんでした。関係はすぐして簡単にすませます。普通です。性交中私をいじめるようなことはありませんでした。夫婦別居の間は私は小平を信じていました。そんなによその女と関係があるとは思いませんでした。事件が新聞に出されてからもまさかあの人がと思い、信じていたので驚きました」

 妻の知らぬところで小平はまったく別の顔を持ち、誰もが一粒の米を懸命に掻き集めていたとき、性欲を満たすことに全力を注いでいた。

東京・芝の増上寺裏で17歳少女の全裸死体が見つかり、小平の犯行が発覚した ©️八木澤高明

 2人目の殺人は1945年6月22日のことだった。衣糧廠で1人目の女性を殺めてから1カ月も経っていない。東武鉄道栃木駅で被害者の女性30歳を目撃し、情欲を催した。「米を安く売ってくれる農家がある」と声をかけると、女性が誘いに応じたため、彼女と駅から乗り合い自動車に乗って約1.6キロメートルほど離れた山林へと連れ出した。付近に民家はなく、小平の挙動がおかしいと感じた被害者が立ち去ろうとすると、背後から襲いかかり、殴打したのち暴行に及んだ。そのときのようすを小平はこう供述している。

「まず女を殴り、次いで頸をしめて仮死状態にします。女はビンタをパンパンと3つ4つくらわせると縮んでしまうのです。機先を制するといいますかね」

 戦後すぐ、買い出し列車で農村に食糧を求めた女たちにとって、小平のひと言はこの上ない魅力を持った言葉であった。少しのイモを手に入れるために遠方の農村へ足を運び、買い出しをする者が増えるにつれて、農家も簡単に食糧を出してくれなくなっていった。それゆえに、知り合いの農家を知っているという小平の言葉は、天からのささやきと言ってもよかった。