小平を見た少年
私は小平が女性を殺めた現場を訪ねてみた。小平は10件の暴行殺人で起訴されたが、そのうち3件は証拠不十分で、7件が有罪となった。他にも小平によるものではないかと思われる事件がいくつもあるのだが、それらは小平が否認したことにより起訴されなかった。7件の事件のうち3件は栃木県内で起きている。
栃木市西方町真名子、2人目の被害者が殺害された土地である。訪ねたのは晩夏を過ぎた頃ということもあり、刈り入れを待つ黄金色の稲がたわわに実っていた。その光景からは食糧難という言葉もはるか遠い過去の言葉のように思えた。
殺害現場は、雑木林が広がる長坂峠の昼でも薄暗い場所である。現場近くに暮らす70代の男性が当時のことを覚えていた。さらに驚くことに、小平とも会ったことがあるという。
「いい男だったよ。峠の手前に小さな長屋があって、そこに小平の愛人が住んでいてね。当時はまだ自分は小さかったから、てっきり夫婦だと思ってたけどね。愛想がよくて、坊やなんて声をかけてくれてさ」
名刑事平塚八兵衛が小平事件を担当しているが、彼の回顧録である『刑事一代』(新潮文庫)を読むと、栃木に東京で不倫関係にあった沖山さんという女性が疎開し、そこを小平が買い出しをかねて訪ねたことから足がついたとの記述がある。
“いなか道に建っている一軒家だ。小糸さんとかいう沖山さんの疎開先だ。小糸さんからも「たしかに小平が沖山さんをたよって、何回か買い出しに来た」という証言を得た。買い出し先も、何軒か紹介したっていうのさ、小平に。それでヤツが買い出しに行った先を一つずつつぶしたら、時計と米を交換した家があったのさ。この家は柏木さんといってな、カイロ灰を作っていた。(中略)柏木さんとこで、小平は米と引き換えに時計を差し出したんだ。この時計ってのが、ズバリ宮崎光子さんの被害品だった。これだけの事実がありゃあ、ヤツも自供しないわけに、いかねえだろう。ゲロしたよ”
小平は数回にわたって、この土地に疎開していた沖山さんの元を訪ねている。沖山さんは、もともと東京の目黒に2人の娘と暮らしていて、小平は沖山さんとの関係だけでなく、娘たちにも食糧を与えるなどして喜ばせ、手を出していた。沖山さんの疎開後、小平は池袋で彼女の娘と偶然再会し、母親の疎開先を聞き出したのだった。
各所で愛人をつくってきた小平は、結果的に色欲に己の首を絞められることになった。