地元のタクシー運転手も「まだやってるの?」と訝しむ“限界色街”和歌山・天王新地は、コロナ禍という逆風を乗り越えることができたのか。『娼婦たちから見た日本』(角川文庫)、『青線 売春の記憶を刻む旅』(集英社文庫)の著作で知られるノンフィクション作家・八木澤高明氏が現地を歩いた。(全3回の1回目)

ほとんど知られていない色街は、コロナ禍で… ©八木澤高明

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ほとんど知られていない色街は、コロナ禍で…

 緊急事態宣言下の2月初旬、人もまばらな東京駅の新幹線ホームにいた。

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 新幹線に乗る際、私は崎陽軒のシウマイ弁当を食べることをささやかな楽しみとしていることもあり、発車までの間に買っておこうと、弁当屋に向かった。ところが、弁当屋のシャッターは降りたままだった。旅のはじまりから緊急事態宣言の洗礼を受け、ちょっとがっくりしながら、代わりに唐揚げ弁当を買って、新幹線に乗り込んだ。

 私は、新大阪駅を経由して、和歌山県和歌山市にある天王新地という色街へと向かおうとしていた。

 この状況下、わざわざ和歌山へ、しかもなぜ色街を訪ねるのか。新宿の歌舞伎町や札幌といった日本を代表する歓楽街は、このコロナ禍、幾度となくテレビや新聞、雑誌などで取り上げられてきた。特に歌舞伎町は夜の街の代名詞であり、クラスターの発生源となったこともあり、世間の注目を集めた。

 一方で、世間でもほとんど知られていない色街の人々は、どのようにこの逆風を凌いでいるのか、それとも店を閉じてしまったのか。この目と耳で確かめたいと思ったのだ。

「今でも3軒はやっていると思いますよ」

 これまで天王新地には2度足を運んでいて、今回で3度目だ。初めて訪ねたのは、2年前の梅雨の頃だった。

 向かったタクシーの車中、運転手さんに天王新地の話題をふってみると、こんなことを言われた。

「私の連れが昔はようけ行ってましたが、その頃から比べたら、ひどい寂れようですね。今でも3軒はやっていると思いますよ。最近ではみんなデリヘルですのに、わざわざ好き好んで行く人は珍しいですよ。 あんな所に行ってもババアしかいないですから、もし一発やりたければ、言ってください。本番ができるデリヘルを紹介しますから」

©八木澤高明

 日本全国の色街は、2000年代の初頭から摘発などにより、次々と消えている。その理由には、経済の落ち込みなどもあるが、店に足を運ばずとも女性と会うことができるデリヘルやネットの出会い系サイトなどの影響も大きいのだろう。その影響を天王新地も受けているのだった。

 戦後直後から2005年まで存在した、横浜の黄金町の色街を見て衝撃を受け、色街を歩きはじめた私からしてみると、日本から色街が消えていく昨今の状況は、極めて残念でならない。

 歓楽街の店舗型のヘルスやラブホテル街のネオンを見たところで、色味がかった乾いた都市の一風景ぐらいにしか感じないのだが、長年にわたって土地に根を張ってきた色街の建物やそこで働く女性たちの姿には、湿っぽく何とも言えない風情を感じるのだ。