見せしめの処罰
食糧を巡る混乱は泥沼化する一方だった。食糧を奪ったことが判明した者には、見せしめの処罰が行われることもあった。ヤシの木に後ろ手で縛られ、衰弱し切った兵士は、「殺してくれ」と泣き叫んだという。
歩兵砲中隊の指揮班長だった田邊正之は、以下のような秘話を打ち明けている。
〈旅団長(引用者注・北村勝三陸軍少将)は、破廉恥行為をなした将校には自決を強要された。若い将校で自ら命を絶った者も数名あった。食い物の恨みは怖いと言うが、食糧に関係した上官殺傷事件もあった。某隊員二名が共謀し、中隊長と小隊長に手榴弾を投げたのだ。幸い軽傷に終わるも、その兵二名は手榴弾で自決した〉(『永遠の四一』)
平時の正義や礼節、道徳など、とうに吹き飛んでいた。そこにあったのは、人間の剥き出しの本性だった。北村旅団長にとっても、部下に自決を強いることは、島内の規律と秩序を守るためとは言え、苦渋の決断だったろう。北村旅団長は「食糧さえあれば」と涙していたという。
島に到着した日本の潜水艦
二式飛行艇が不時着してから58日目、メレヨン島に一隻の潜水艦が補給のためにたどり着いた。伊号第369潜水艦が危険を排して航海に臨み、寄港に成功したのである。食糧や医薬品を降ろした艦内に、小森宮正悳ら12名の二式飛行艇搭乗員は収容された。
現在、メレヨン島は「見捨てられた島」などと称される。しかし、この表現自体は必ずしも正確とは言えない。日本軍は潜水艦による補給を複数回にわたって試み、何度か成功している。
無論、小さな潜水艦では、物資の運搬には限界があった。島が孤立したのは事実である。補給を「無視」したわけではないが、「軽視」していたと言われても仕方がないであろう。
こうして、小森宮らはメレヨン島から離れることができた。5月24日、伊号第369潜水艦は横須賀港に帰港した。