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2021/06/13

「聞き分けのいい子」であることの代償は…

 10歳になるころには、わたしは母が何に気を取られていて、どうサポートしてほしいのかを大まかに把握し、そのおかげで理不尽に怒鳴られることが少なくなった。親が爆発しないよう務めるばかりだったからか、子どもらしくわがままを言って泣き、聞き入れてもらうようなことはほぼ無かったらしい。聞き分けのいい子であることの代償か、 自分でも説明できないほど早くから精神を病んでいったように思う。

 父親の「家庭外活動」も発覚して複雑を極める中、中学生の頃から精神的な不調は本格化し、大学生になるまでには日常生活に支障が出るほどになっていた。自傷癖、春に明るく冬に落ち込む精神状態、それと連動するように動かなくなる体。それでも自分と周囲をごまかしてなんとか生きていられたのは、日々の言動の責任を追及されにくい学生の身分だったからだろう。

 若年層の精神を診られる医師と出逢えないまま騙しだまし生活を続けてきたが、社会人生活では無理も融通もきかず、試用期間満了の6月末で解雇されてしまう。限界を悟った瞬間だった。会社を出ていかねばならないほど決定的に何かが壊れているか欠けているのに、じぶんのことがさっぱり理解不能な生活がしばらく続いた。疲れ知らずだと感じているのに職場で何時間も眠ってしまった理由も、何一つわからなかった。

©Rimi Watanabe

下された診断は…「双極性障害Ⅱ型」

 実は入社から間もなく、異変に気づいていたわたしは、会社近くの精神科に通院を始めていた。最初こそ、元から悩まされていた離人感に解離性障害の診断が下りただけだったが、解雇された後の秋口からはうつ症状がひどくなり、その結果、双極性障害Ⅱ型の診断名が下された。疲れを感じなかったのは躁状態の典型的な症状で、蓄積された身体疲労が日中の睡眠で回収されていたとのことだった。その反動で、トイレ以外は布団から動けないほど強烈なうつ状態に見舞われたらしい。十代からの春と冬の体調変動も、わたしの場合はこの病名で説明がつくと言われた。

 そのとき、カウンセリングで初めて第三者を伴って幼少期の感情を振り返り、認知できていなかった自分の感覚を紐解いた。カウンセラー曰く、子どもらしく過ごせなかったからこそ「自分自身を納得させるロジック(=合理性にも近い理屈)を固めることが得意なタイプ」になったらしい。自分よりも親や周囲の人を優先してきた結果、自身の感情(好/嫌など)や感覚(疲れ/不快感など)を知覚しづらいことが問題を引き起こしているとのことだった。養育者に生死が握られているから本能的に頑張ってきたのに、自分が大人になってみたら自己管理ができていなくて他者に迷惑をかけているのか…と、やるせない気持ちになった。