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「社長、私らは、突然いつ逮捕されて刑務所に行くかわからないでしょう。こうやって現金で払っておけば、ムショから出たときに温かく歓迎してくれるんですよ」

 池田がけっして請求書払いやツケで飲もうとしなかったのは、そういう理由だったのだ。

「マムシ」と言われた男

 池田が何百億円ものカネを動かせるようになったのは、消費者金融大手・武富士の所有する駐車場の売買に絡んで、100億円近い利益をあげたことがきっかけだったと聞いているが、このころの資金源となっていたのが森下安道率いる金融会社のアイチだった。

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「マムシ」の異名をとった森下は愛知県渥美半島の出身で、地元の高校を卒業後岡崎市の洋服店に就職した。上京して繊維ブローカーとしてカネを作り、1968年に30代半ばでアイチを設立した。最初のころは警察沙汰にもなった荒っぽい仕事ぶりで、「企業の葬儀屋」と言われるようになった。経営が傾いた会社に高利で融資し、その会社が倒産すると資産を持っていくのだ。

 高利貸しで巨万の富を得た森下の自慢は、東京・田園調布に構えた豪邸だった。赤いレンガ色の高い塀に囲われた敷地の中央に、西欧の貴族の館のような洋館が威容を誇っていた。池田を伴い、私も何度か訪ねたが、24時間態勢でガードマンが立ち、大理石張りの博物館のような寒々しい屋敷だった。

 小柄で痩せこけた森下は、しばしば甲高い声で家自慢をしていた。森下のライバルは武富士創業者の武井保雄(たけいやすお)だが、森下は武井に、自らの邸宅を手本に家造りをするよう勧めたらしい。武井は東京・高井戸に「真正館」と呼ばれる大理石をふんだんに使った白亜の豪邸を建てた。

 池田が私を田園調布に連れて行くのは必ず早朝6時半くらいの時間で、なぜなら、その時間なら森下と確実に会えるからだ。

「私はこちらの社長にカネを返さなければ逮捕されちゃいます」

 池田はそう言って、私のほうに向き直った。

「そうですよね?」

「そうだ」

 2人の関係は独特で、森下は池田を「池ちゃん、池ちゃん」と呼ぶ。「あのときは、池ちゃんと事務所で2人、おしぼりが絞れるくらい泣いたよな」などと親友のように話すこともあれば、お前に貸すカネはない、という雰囲気のときもあった。2人には似たところもあったが、金貸しとしては、森下のほうが2枚も3枚も上手だった。事実、その後森下は許永中はじめ多くのバブル紳士に資金を拠出し巨額の利益をあげていく。

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