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本人は「もっとダメに描いて」

――第3話「つくし」では、お父さんと近くの森に行き、「おやつ」として、つつじの蜜や、木いちごの実を食べたり、つくしを摘んで甘辛く煮ておやつに食べたりするエピソードが紹介されています。ある意味では贅沢な子ども時代を過ごしたともいえるのでは。

 僕は理想的な父像を描いたつもりは決してありません。「ラーメンが食べたい」と言ったのに、一緒につくし採りに行かされてつくし入りのカップラーメンを食べさせられて困惑している友だちを描いたように、「こういう人がぼくのお父さんだよ」というのを、ただ描いたつもりです。決して「人気者」の父を描いたつもりも、「情操教育に優れた父」とか「子どもの目線で子どもに寄り添う親」を描いたつもりもありません。

 お父さんからも最初の1~2回を読んだ時に、「こんな理想的な父親みたいに描かないでよ。もっとダメに描いて」と言われました。自分としては、父親の「変わってる」部分やダメな部分を描いたつもりだったのですが、もっとダメに描いた方がいいなと思って、その後のエピソードではもっと「ダメな部分」も含めて描きました。

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――「ダメな部分」ですか。いちばんお父さんらしいと思えるエピソードがあれば教えてください。

 エピソードというわけではありませんが、「絵本作家」のお父さんの話を描いているのに、実は一度も絵本の話が出てこないんです。それがお父さんらしいなと思って、そうしました。

矢部さんが思う「お父さんらしさ」とは…

 最後に新作かな?と思わせるものをチラリと出しましたが、あえて完成形にしなかったのは、その方がお父さんらしい、と思ったからです。

――でも実際に漫画のように、できあがった作品を真っ先に矢部さんに見せてくれたのですよね。

 そうですね。でもそれは、絵本の対象年齢があの頃の僕だったから、ということなんだと思います。だから僕の前はお姉ちゃんがその役割をしていたはずですし、僕がかわいいとか特別ということではなかったと思います。

 でも、お父さんが絵本や紙芝居を読んでくれたのは、よく覚えています。

 お父さんの『あかいろくん とびだす』という絵本は、ずっと好きでした。まちじゅうのいろんな「あか」が逃げ出して、みんなで海に飛び込んで夕陽になるというお話で、今でも好きな作品のひとつです。子どもの頃からよく「本屋に並ぶ前から新作の絵本が読めていいね」と言われましたが、本屋で新作を読む方がいいかもしれないし、どちらがいいのかは正直今でもわかりません。