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お殿さまのいなくなってしまった街

 いま、群馬県庁があるあたりは、かつて前橋城という前橋藩の政治の拠点が置かれていた。実は前橋藩はかなりの曲折をたどっている。江戸時代のはじめまではこのあたりは厩橋と呼ばれていて、徳川譜代の重臣・酒井氏が入って前橋と名を改めた。以来、一貫して譜代の大名が治めてきたが、途中でお殿さまは前橋からいなくなってしまったのだ。

 というのも、江戸時代中頃に利根川沿いにあった前橋城が利根川の流れによって浸食されて崩壊。やむなくお殿さまは飛び地領だった川越に居を移して川越藩と名乗っている。のちに県都になるにもかかわらず、江戸時代の前橋は藩主もいないしがない飛び地領にすぎなかったのだ。

 

 1867年にはお城が再び完成して前橋にお殿さまが戻ってきたが時すでに遅し。幕府は崩壊して明治時代になった。すると廃藩置県である。何度かの変遷を経て現在の群馬県が誕生したのは1876年のこと。そのとき、県庁は利根川を挟んだ西側の高崎に置かれている。まあ、長年お殿さまもいなかったような街だから、そうした扱いになってしまうのも仕方がないのかもしれない。

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立ち上がった商人たち

 ところが、そんな扱いに憤懣やるかたなしと立ち上がったのが前橋の商人たちであった。前橋は、お殿さまこそいなかったものの江戸時代から商業においては高崎にも負けない存在感を示していた。近郊で生産が盛んな生糸の販売を武器に富を得ていたのだ。

 そんな前橋の商人たちを中心に県庁移転誘致の運動を繰り広げ、1881年になってついに前橋に県庁がやってきた。そうして今に至るまで、前橋は群馬県の県庁所在地なのだ。

 

 前橋駅が開業したのは、県庁がやってきて数年後のこと。まずは1884年に現在のJR高崎線が利根川西岸まで延びてきて前橋駅を名乗ったが、これは前橋には入っていないのでいわば“仮の前橋駅”。現在の場所に前橋駅が開業したのは1889年のことで、小山駅から延びてきた現在の両毛線の駅としての開業だった。同年中には利根川を渡る橋も架けられて高崎とも結ばれ、今の形ができあがっている。

 旧城下町にはじまる前橋の町は、利根川沿いのお城を中心に広がった。そこに橋を架けて鉄道を通すのはなかなか至難の業。そういうわけで、少し市街地から南に外れたところに前橋駅ができた。前橋駅前が今の場所にたたずんでいるのには、そうした事情がある。