傾きかけた試合の流れを自慢のスライダーで断ち切った。5月29日の日本ハム戦。先発・梅津晃大が1点差で作った5回1死二、三塁のピンチ。中日・橋本侑樹投手が登場すると、西川遥輝、近藤健介という好打者にスライダーを多投。三振に斬って、難局を切り抜けた。
7年ぶりの交流戦の勝ち越しを決めた中日だが、交流戦の中でリリーフ陣の“番手”を上げてきたのが橋本だ。ネット上では“死神の鎌”と呼ばれるほど大きく曲がるスライダーが武器。左腕に聞くと、既に愛称を認知しているそうで、「大学の後輩から『死神の鎌って呼ばれてます』って連絡が来ます。それで覚えてもらえるならありがたい」。まんざらでもない様子だった。
交流戦7試合登板のうち、スライダーで三振を奪った選手は7人いる。ソフトバンク・栗原陵矢、日本ハム・西川、近藤、オリックス・宗佑磨、吉田正尚、杉本裕太郎、楽天・茂木栄五郎。いずれもパ・リーグを代表する強打者ばかり。会心の投球は近藤の見逃し三振だったが、「欲を言えば空振りさせたかった」と悔しがった。両リーグで“最も三振しない男”吉田正には「あの球は投げたいところに投げ込めた1球でした。でもラッキー。たまたまですよ」。初見とはいえ、侍ジャパンでも中軸を担う男から三振を取ったことは自信になった。
野球を始めたときから「真っスラ」が基本形
小学3年で野球を始めたときから、直球は真っスラしていた。どれだけ練習しても、純粋なフォーシームが投げられなかった。中学で硬式の高浜ボーイスに入団してからは、父から「直球が真っスラするならもっと曲げてみたら打たれへんちゃう?」と助言を受け、縫い目のかけ方を変えたら恐ろしいほど曲がった。
でも、曲がりすぎて捕手は当然取れなかった。案の定自分でも制御はできず。「中学の時は、スライダーのストライク率は1割もなかったんじゃないですかね」。全く使い物にならなかった。
大垣日大高では、入学後にカーブとチェンジアップに挑戦。しかし、これまたアジャストせず。直球とスライダーの2択で腕を振りまくった。
大商大1年の時には4年だった小屋裕さん(元・パナソニック)にスライダーの握り、感覚を教えてもらい精度を高めはじめた。3年になりようやく、フォークを身につけるのだが、「フォークもスライダーもストライク率はよくて3割……」。それでもノーヒットノーランを達成し、全国大会にも出場して、プロ野球チームからドラフト2位指名を受けることになる。ポテンシャルは無限状態だった。
大野奨太が見せてくれた、ある投手の「奪三振ショー」動画
入団1年目の昨季は開幕1軍こそつかんだが、14試合で防御率7.14と成績は残せなかった。カウントを悪くして、ストライクを取りにいったらバチン、ドカン。制球難の悩みは尽きなかった。
一方で、今年好成績を残している要因は、ずばりスライダーへの自信だ。橋本は「2ボールからでも、自信をもってストライクを投げ込める」と断言する。自信がついてきたのは3ヶ月前。開幕前にさかのぼる。
3月17日の教育リーグ・阪神戦(ナゴヤ)。1軍本隊から実戦感覚を増やすため藤嶋健人とともに2軍で登板した。まだスライダーの操縦に不安があった左腕は、バッテリーを組むことになった大野奨太に「スライダーの使い方、組み立て方を教えて欲しい」と頼みこんだ。
橋本は、大野奨に連れられロッカーへ。スマホの画面を開くとユーチューブを立ち上げ日本ハム・宮西尚生の「奪三振ショー」動画を一緒に見て、イメージを膨らませた。
「大野奨さんから宮西さんのようなスタイルを見てイメージを膨らませるように、と話してもらいました。『真っすぐは力がある。アバウトでいいんだ。基本はスライダー。いいスライダーがあるんだから、とにかく真ん中めがけて投げてこい。そして空振りを取りたいときだけ、少し狙ってこい』と言われました。常にいいところに投げないといけないと勝手に自分を追い込んでいたのが、楽になったし、あれで感覚を掴めましたね」
制球に苦しんだ魔球が徐々に機能し始めた。そして2年連続で開幕1軍入り。開幕後は登板のほとんどがビハインドの展開だったが、150キロに迫る直球とスライダーを主体に結果を出し続けた。27日のソフトバンク戦では同点のしびれる場面で登場。栗原、柳田、中村晃を抑え、プロ初ホールドも記録した。
とはいえ、まだまだ竜のブルペン陣を支える……ところまではいかない。必死にくらいつき、結果を求めているところだ。日々勉強。先輩のアドバイスも素直に受け止める。
「ネガティブにならず、無心でマウンドに上がれるようになったのは又吉さんのおかげかな……。(アドバイスの内容は)まだ具体的には言えないですけど」
感謝する相手は又吉克樹。バンテリンドームのロッカーが隣で、アドバイスをもらうことが多い。精神面で落ち着いて、マウンド上でジタバタしなくなったのは、経験豊富な又吉が相談役としていてくれるから。橋本に確固たる自信が芽生えてきたとき、そのアドバイスを教えてもらうことにした。