外野手となった4年目は打率こそ.208だったが、盗塁をミスなく9個成功させ機動力を見せると、これが高田繁GMの目に止った。またシーズン後のフェニックスリーグでも3割以上打ち存在感を示すことができた。ここでアレックス・ラミレス監督が新たに就任するのだが、秋のキャンプで渡邊の姿を見て「ナベ、春のキャンプは一軍で呼ぶから、しっかり準備しておけ」と告げられた。
レギュラークラスと宜野湾で汗を流し、一軍に帯同されオープン戦でも打席に立ったが、残念ながら開幕一軍には届かなかった。
ただ開幕早々チームは新外国人のロマックをはじめ貧打に苦しんでおり、外野のテコ入れがあるということで、ファームの二宮至監督から「ナベ、準備しておけ」と伝えられた。初の一軍に期待は高まったものの、無情にも声が掛かったのはベテランの井手正太郎だった。井手は昇格してすぐホームランを放つなど勝利に貢献する活躍をした。
ここで渡邊に見えていた景色はセピア色に変わっていく。一軍から声が掛からぬまま後半戦になると打席が減り、自分より若い選手たちが試合に出場するようになった。渡邊はこれがどういった状況なのかを悟った。
現役を引退し退寮する日、先輩・梶谷が流した涙
「ただ思ったんですよ、ここまで4年以上サボらず練習をやってきて、これを続けなきゃって。だからその後も早出して全体練習をして試合に出て、夜間もやりました。5年間これを続けられたのは自分にとって誇りです」
選手寮に隣接する室内練習場で深夜まで練習し音がうるさく、先輩たちから怒られることもあった。けれどそこに一軍で活躍できなくても、プロとしての証を残すことができた。
ファーム最終戦、渡邊はまだ解雇を言い渡されていなかったが、8回の打席「最後なんでホームランか三振で帰ってきます!」と明るくベンチに告げバッターボックスに立った。小学校から始めた野球。走馬灯のようにいろいろな思いが頭のなかを駆け巡った。甘く入ったストレート、すべての力を集約させた万振りはボールを強く跳ね返し、スタンドへ消えていった。感慨深い思いでダイアモンドを一周しベンチへ戻ると、なんとサイレントトリートメント……一瞬の間の後、あたりは歓喜と哄笑に包まれた。もう後悔などない、これ以上ないエンディングだった。
この話にはいくつかのエピローグがある。
現役を引退し退寮する日、一軍レギュラーの梶谷隆幸から連絡があった。食事の誘いだった。梶谷は自主トレをともにした親しい先輩だ。すると梶谷はその席で「お前が誰よりも練習しているのは一軍のメンバーみんなが知っている。ほんまよう頑張ったな」と、号泣してくれたという。
そして引退をして3年後の2019年、同僚だった西森将司からこんな話を聞いた。ファーム監督に就任していた万永が練習に身の入らない若手に対しミーティングで次のように𠮟責したのだという。
「俺が見ていた渡邊っていう選手は、めちゃくちゃ練習していたぞ。あれだけ練習をしても一度も一軍に上がれなかった奴がいるんだ。お前らはどれだけ練習しているんだ。コーチをもっと利用しろ」
プロ生活に後悔はなかったが、これらの声を聞いて渡邊は救われたような思いだった。
「よくチャンスがなかったという選手がいるけど、僕は少ないかもしれないけどチャンスをもらって、それを活かしきれなかった。そこは自分次第なんです。しかしまあ本当、コーチも先輩も同僚も、本当にいい人に出会えたし、そこはすごく恵まれていた。5年間、横浜で良かったなって」
DeNAになって10周年。一軍で活躍する選手ばかりではなく、渡邊のような名もなき男たちの支えもあって球団は歴史を重ねていく。
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