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阪神ファンよ、敵は巨人にあらず…2008年、あの夏の失意を思い出せ

文春野球コラム ペナントレース2021

2021/07/03

阪神ファンにとって、五輪は鬼門

 さて、ここで別の人物の筆に委ねてみたい。無名の文士であるが、阪神を愛すること筆者など足元にも及ばず、記憶力の旺盛なること山のごとく、そして過去への悔恨の度合いなどは常軌を逸しているとさえ言える。

 *

 当時、我々の界隈での話題といえば、こればかりであった。つまり、

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「岩田なる理由は如何?」

 2009年の初春であった。第二回WBC(ワールドベースボールクラシック)を3月に控え、急きょ、4年目の岩田稔が代表に招集された。ドジャースの黒田博樹が調整を理由に代表を辞退。その代役であった。代表監督は原辰徳である。巨人の監督でありながら、代表の監督を務めていたわけである。

「いただけない」

 我々は顔を合わせば、口をついた。いただけない、いただけない。岩田の選出は実にいただけないものだった。

 前年、プロ入り初の10勝をあげた岩田であったが、代表に値する実力というにはまだ遠い、未完成の投手にすぎなかった。他の代表メンバーの面々と比べてみれば一目瞭然であろう。ダルビッシュ有(日本ハム)、馬原孝浩(ソフトバンク)、田中将大(楽天)、涌井秀章(西武)、松坂大輔(レッドソックス)、岩隈久志(楽天)、藤川球児(阪神)、内海哲也(巨人)、小松聖(オリックス)、渡辺俊介(ロッテ)、山口鉄也(巨人)、杉内俊哉(ソフトバンク)。文字通り、日本球界を代表する投手ばかりである。

 我々の不安は的中した。緊張と実力不足。岩田は一見して硬かった。一戦必勝の大会で投げるには場数、実績、地力、すべてを欠いていた。必然、無理をして投げることになる。言わずもがな、無理はどこかで表面化する。

 初登板は、第1ラウンドでの韓国戦だった。1イニング投げ、1奪三振、2四死球。次に投げたのは同じく韓国戦(第2ラウンド)。0/3イニング、2四球、うち1つは押し出しという惨憺たる結果となった。そして大会後に「左肩肩峰下滑液胞炎」発覚。復帰は6/10の西武戦まで待たなければならなかった。

岩田稔 ©文藝春秋

 我々仲間うちでは、「原の陰謀」「原の呪い」とさえ唱えるものもいた。むべなるかな。前年の2008年、岩田は対巨人戦でプロ初勝利を挙げ、最終的に巨人から3勝をもぎ取った。原の立場から言えば、目の前で実力を見せつけられたからこその選出、ということなのだろう。だが、我々の間では、原の岩田潰しにしか見えなかった。若い芽を摘み取るには、絶対に批判の出ない、出ようのない、うってつけの場であったのだ。

 ところで我々が物心ついたころ、初めて野球盤なるゲームをしたその商品の広告塔は若大将・原辰徳であった。この野球盤でフォークボールをなげられると、ほぼ打てない。消える魔球となる。ときおり、そのフォークを投げる友に対しては、「はらたつ、はらたつ、はらたつのり!」と言った。そうしてせめてもの鬱憤を晴らしたものだ。

 WBC のあと、我々のあいだで、ぶつぶつとつぶやく者が増えた。ご飯を食べながら、バスを待ちながら、散歩をしながら、唱えることばはいつもこれだった。「はらたつ、はらたつ、はらたつのり!」。

 事実、前年(2008)は見事にしてやられたのであった。世の言うところの「メイク・ミラクル」である。最大13ゲーム差をひっくり返され、阪神は原巨人にペナントを奪われる。

 その大きな要因は、原采配だけでない。背後には、「五輪」という大きな存在があった。 

 2008年夏、北京五輪。阪神から現監督の矢野、藤川にくわえ、広島から移籍して1年目の新井貴浩が選出された。新井は、腰痛を押して五輪へ出場。ジャパンの4番という大役を担っていたのである。結果は4位に終わり、星野ジャパンは失意の帰国。しかし、阪神ファンにとっての失意は、五輪の順位なんぞではまったくなかった。「新井、第五腰椎疲労骨折。シーズン絶望」、この知らせほど大なる失意を生むことはなかろう。星野は、「私の責任。阪神と阪神ファンに申し訳ない」と謝罪のコメントを出したが、謝られたところで新井が戻ってくることはない。「まったくなんてことをしてくれたんだ!」。憤った。怒髪天を衝いた。怒れる我々は、憤りのやり場について話しあった。

新井貴浩 ©文藝春秋

 結論――。五輪は諸悪の根源なり。

 なぜならば、星野にそれを求めたところでしかたがないのであった。たしかに新井を無理させた責任は星野にあろう。だが、金メダルという阪神ファンならずともプロ野球ファンからしてもどうでもいい目標を求められ、それに縛られた監督が強力な4番を希求するのはやむをえない。むろん、星野が無理を言える球団は、当時、シニアディレクターを務めていた阪神である。さらにいえば、移籍1年目の新井が阪神元監督である星野の期待に応えようとするのはもっともであり、それ以外の選択肢などとりようがない。プロ野球が五輪に参戦しさえしていなければ。その思いの果てに行き着いたのが以下である。――アマチュア精神を失い、醜悪なコマーシャリズムに走る五輪こそが悪。

「五輪憎し、五輪憎し」。我々は顔を合わせば、こう言ったものだ。

 その年、メイクミラクルなんぞという浅はかな言葉が巷間出回ったが、阪神は五輪の犠牲となったのである。そこへ、原巨人が見事につけ入った。そういうことである。

 あのとき以来、我々阪神ファンができうることは以下のお題目を唱えることだけとなった。

 五輪よ、二度とプロ野球にかかわるなかれ。ペナント争いの邪魔をするなかれ。

 ……

 ところが、である! 

 *

 このあと、恨み骨髄に達する筆致で、今年の東京五輪への批判がつづくのであるが、ここでは割愛したい。この文士、過激であることは間違いなかろうが、言わんとすることはわかる。

 阪神ファンにとって、五輪は鬼門。

 これは間違いないであろう。そして加えるならば、文士の見立てのように、原采配、あるいは文士の言うところの原の呪いが微妙に関わってくる気がしてならない。五輪という鬼門を前にどうしても生じてしまう綻びを、原監督が見逃すはずもないのだ。その兆候はすでに出ていよう。6/20の原巨人との駆け引きに敗れて以降、矢野采配にキレがなくなったのは多くの阪神ファンが気づいているはずだ(7月1日のヤクルト戦で、スアレスを3連投させたのなど、その負の典型であろう)。すでに五輪の呪いが周辺にまで影響してきている気がしてならない。

 以上をふまえ、本コーナーの阪神監督として、以下を切に訴える次第です。

 阪神優勝のため、なんとしても東京五輪は中止にしてもらいたい。代わりに、中断予定の25日の間にできるだけ多く、公式戦をおこなってほしい。

 そして、これは一プロ野球ファンからの願いであるが、二度と五輪へのプロ野球選手の派遣はやめてもらいたい。プロ野球は粛々とプロ野球をやろう。アマチュアのスポーツは、アマチュアに任せて。

 以上、本コーナー・タイガース監督である私からの訴えでありました。

 最後に一つ。私は文士と違い、原監督の勝負師として見事な采配に脱帽こそすれ、原監督に恨みも怒りももっていない。どころかひそかに期待しているのだ。

 あのさわやかな口調で突然、こう発言してくれないかな、と。

「うん、みなさん、五輪はやめましょう!」

 言ってくれないかなぁ。

◆ ◆ ◆

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