昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

特集クイズです

クイズ王たちのサークル「ホノルルクラブ」の秘密 “女王”石野まゆみインタビュー#2 

「ブームを作ったのは『当たってくだけろ!』だと思います」

“西の女王”奥畑薫の関係、そして“ポロロッカ”西村顕治のこと

――『当たってくだけろ!』でのクイズ王は、芸能人回答者に対するヒールの役回りもあったと思いますが、やりにくくありませんでしたか。

石野 クイズもヒール役は西村くんに全部お任せでした。私と同じように非日常体験として、本人は喜んでやっていたと思いますけどね。私は野郎だけのクイズ王に紅一点、添え物のようにいただけですから……。ただ、考えてみると、クイズって男社会だったんだなあって思いますね。女性でクイズをやっていた人、ほとんどいませんでしたから。“西の女王”と呼ばれる奥畑薫さんが注目を集めるようになったのは、たしか『FNS1億2,000万人のクイズ王決定戦!』の頃の92〜93年だったと思いますが、私が初めて奥畑さんとお話ししたのが96年のことです。

――奥畑さんとは今もご親交はあるんですか。

石野 仲いいですよ。フィギュアスケートとか一緒に観に行ったりします(笑)。結弦くんと昌磨くんが好きです。

――『ウルトラクイズ』の能勢一幸さんにお話を聞いたら、問題読み上げ0.9秒で「ポロロッカ」と正解した西村顕治さん、あのクイズ王は本当に伝説的だ、ということを仰っていました。石野さんにとって西村さんという人はどんな存在なんですか?

石野 西村くんとは当時仲がとてもよかったんですが、本当にどんなことでも知っていて、知識の幅が広かったです。自分が苦手だと思ったこと、たとえば女性向けの問題がいまいち得意じゃないなと自覚したら、家庭科の教科書みたいなものをドサッと買いこんできてマスターしてしまうみたいな。そういうことをしていたはずです。弱点をなくそうという、強い意志をもっていましたね。ほんとに伝説のクイズ王ですよ、絶頂期に退いて。山口百恵みたい(笑)。

『当ってくだけろ!』出演時。西村顕治さん(左)と石野さん、道蔦さん 写真提供:石野まゆみさん

母と『ドレミファドン!』に出たのが最初です

――そもそも石野さんは、なにがきっかけでクイズの道を歩まれることになったんですか?

石野 母ですね。物心ついたときには母親がクイズ番組ばかり観ていた。チャンネル権は母にありまして選択の余地なし(笑)。

――クイズ好きの女性というのはちょっと珍しい気がしますが。

石野 考えてみたらそうですね。私の母はちょっと変わっているかも。クイズ番組を観るのが好きで、スポーツ観戦も好きで。特に野球が好きなので、冬は何を観ればいいのって泣いてます。

――ちなみに石野さんも野球観戦されますか。

石野 野球観戦大好きです。中日ドラゴンズのファンなので、ここ数年の体たらくが情けないんですが。

 

――最初のクイズ番組挑戦はおいくつのときでしたか。

石野 小学6年生のときに、母と『クイズ・ドレミファドン!』に出たのが最初です。いくつかコーナーがあって、そのうちの一つでトップをとりました。次が中学1年、『タイムショック』中学生親子大会で初優勝。中学3年生のときに『アップダウンクイズ』中学生大会で優勝しました。

クイズ番組優勝は15回という快挙

――比較的オーソドックスな番組を中心にご活躍されていますが、『ウルトラクイズ』には挑戦されたんですか?

石野 もちろん。テレビでは第1回から全部観てましたし、実際に後楽園球場ですとか東京ドームの予選にも行ったんですけれども〇×が突破できなくて、ちょっとご縁がなかった。

――結局、クイズ番組では何回優勝されているんですか。

石野 数え方はいろいろですけど、盛って15回ということにしてます(笑)。『アップダウンクイズ』で3週連続10問正解だったので、それで3回といったような盛り方ですけど。

――あの番組で3週連続10問正解はすごいことですね。

石野 それが、つくば科学万博が開催された1985年の1月のことなんですが、『アップダウンクイズ』をご覧になったというNHKの方からお声がかかって、万博を紹介する総合テレビの番組に、半年ぐらい出演したことがあるんですよ。つくば博のマスコット・コスモ星丸くんと一緒に(笑)。大学時代のいい思い出です。

コスモ星丸くん(左端)と一緒に。NHKスタジオで 写真提供:石野まゆみさん