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医療者として感動した「降りていく生き方」

――ゲノムが対応できないような時代にあるんですね。

糸川 情報環境だってそうです。もう僕らの脳の容量ではさばけない量の情報が毎日、毎時のように飛び交っているじゃないですか。基本的に、人間にとって処理不可能な世界になっちゃっている。寿命だって急激に伸びて、人類史上経験したことがないほどの長寿社会になっています。

――それで「人生100年時代」とか「人づくり革命」「1億総活躍社会」とか、スローガンが掲げられているわけですよね。

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糸川 そんな時代だからこそ、それとは反対のベクトルで考えることも大切だと思うんです。10年近く前だったと思うんですけど、日本統合失調症学会の大会が北海道の浦河で開催されたんです。そこに「べてるの家」という、精神障害等を抱えた当事者の活動拠点があるのですが、掲げられている標語が「降りていく生き方」。みんなが山頂を目指して一直線に歩くような「勝ち組・負け組」で規定されてしまうようなこの時代に、この考え方はすごいなって感動したんです。

デスクの前には緒方洪庵の「医戒十二訓」が貼られている

――そういった考え方は、糸川さんの医療哲学にも結びついているものですか?

糸川 そうですね……、従来の医療、特に西洋医学は病気に「勝つ」ことを前提に発展してきたならば、それとは別の体系が見直されるべきだろう、ということは思っていますね。僕ら科学者というのは、物心二元論のデカルト以来300年、ずっと物質しか相手にしてこなかったんです。僕の専門だったら、精神現象(心)をタンパク質(脳)に還元し、脳を神経細胞に還元し、神経細胞を受容体、ドーパミン、イオンチャンネルなどの部品に解体して研究する。その結果、被害妄想や幻聴はドーパミン受容体に蓋をする薬を飲ませればおさまると、心と脳を紐付けできるようにはなったんです。でも、どうしても紐付けできないものがある。人を尊敬する気持ちとか、使命感とか、気持ちを汲むとか、心寄せるとか。

 

人工知能でもカバーできない医療の「アート」

――まさに物質に還元できないもの。

糸川 それを踏まえておくことは医療の世界でも、これからますます重要になってくると思うんです。先日亡くなった日野原重明先生が何かで書いておられたと思うんですが、元々医療にはサイエンスとアートの部分があったと。で、サイエンスの部分は1ミリ単位でガンが発見できるほど大進歩した。問われるのは、発見したガンをどう患者に告げるかというアート(技術)の部分であると。確かに、このアートの部分は人工知能で単純にできるものではないはずです。そして、家族ができることの限界に、第三者としての医療関係者が手を差し伸べられるとしたら、こうしたアートの部分での尽力も欠かせないはずです。

――技術的な医療と、関係性による医療、二本の柱があってこその医療なんですね。

糸川 医者って意外と「物質じゃないもの」を信じているところがあるんです。僕も東洋哲学の「因縁」とか「縁起」という概念に惹かれるところがありますし、解剖学的に解明されていないツボ押しとかの「経絡」、整体とか漢方の東洋医学的な世界に興味を持ち始めています。そういえば、順天堂大学の天野篤先生、私の尊敬する先生なんですけど。

――はい、天皇陛下の執刀医も務められた心臓外科医の。

糸川 以前お話しした時に、手術の前にお祈りするって言っていました。びっくりして、冗談半分に「年間400例も手術して、神頼みですか!」って聞いたらば、「いや、病は理不尽なものだ。僕らはスキルによって心臓の血管をつなぐけれども、その病の理不尽までは治せない」と。なるほどと思いました。人間が分子レベルにまで還元されて医学が発展し続けている現代だからこそ、医療に携わるものは、物質ではないものへの謙虚さを、常に持ち続けなければならないんです。それは母や父が私に教えてくれたことにも繋がっている気がしています。

 

写真=鈴木七絵/文藝春秋

いとかわ・まさなり/1961年生まれ。分子生物学者・精神科医。埼玉医科大学卒業。現在、東京都医学総合研究所・病院等連携研究センター・センター長を務めている。ドーパミンD2受容体の遺伝子多型を世界で初めて同定し、統合失調症との関連を確認した統合失調症研究の第一人者。著書に『臨床家がなぜ研究をするのか』『「統合失調症」からの回復を早める本』『統合失調症が秘密の扉をあけるまで』『科学者が脳と心をつなぐとき』などがある。