『ひよっこ』の医療監修を務めた糸川昌成さんは、統合失調症の母、認知症の父を持つ人でした。分子生物学者として、精神病の原因に最新の遺伝子研究で迫る中で知った「病の意味」「医療の哲学」とは――。

糸川昌成さん。統合失調症研究の第一人者として活躍している。

叔父の日記に書かれていた「分裂病」という言葉

――糸川さんの著書『科学者が脳と心をつなぐとき』には、統合失調症だったお母さまのことが綴られています。この道に進まれたきっかけでもあるのでしょうか?

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糸川 直接的なきっかけではありません。ただ、物心ついた時から母は家に不在で、父や親戚に母のことを聞くと場が凍りつきました。僕にとって母は謎の存在だったのですが、会うこともないまま、次第に病没したのだと理解するようになりました。その後、祖母を往診するお医者さんの姿を見るなどして、次第に医者の道を選んだのですが、大学入学時に手にした戸籍謄本で母が生きていることを知ったんです。母のことがどうしても知りたい。そこで手にした叔父の古い日記に母についての記述を見つけたんです。書かれていた言葉は「分裂病」というものでした。

――当時は統合失調症を「分裂病」と呼んでいた時代ですね。

糸川 医学を勉強する前のことでしたから、それがどういう病気なのか正確にはわかりませんでした。ただ、ただならぬことであろうことは感じました。一目会いたいという思いと、もしかしたら変わり果てている姿を目にするかもしれない恐れに迷っているまま月日は経ってしまい、母が亡くなったという報せを受けたのは、僕が39歳の時です。長男と次男、そして妻を連れて母の遺体を引き取りに行ったときに、僕は初めて母のことを自由に語り、家族に聞いてもらったんです。その時、ようやく母が「語られていい存在」になった。ただ一方で、「どうして自分は生前、母に会わなかったのか」と激しい後悔にも襲われました。研究に没頭するようになったのはこのころからで、一時はそれで燃え尽きてしまったこともあります。

 

精神科医になってわかった母の行動の「意味」

――お母さまの死後「母調べ」という言葉を知り、カルテを取り寄せ、どんな人生を送ったのか跡を辿ったそうですね。

糸川 はい。そこで目にした「異常所見」「問題行動」と記された記録は衝撃的なものでした。父の背広やカバンをハサミで切り刻む、父のこうもり傘は人の目に刺さるからと自分の赤い折りたたみ傘を持って行かせる――。ただ、私がそこで思ったのは、どの行動にも母なりの「意味」があったのではないか、ということなんです。父の兄弟姉妹の家が5軒並んでいるような、母にとっては窮屈な環境でもあったことで、父にはいつもそばにいて欲しかったんだろうと。だからこそ、仕事に行けなくなるように背広を使えなくする、女物の傘を渡して外出しにくくする。それは周囲からは「わけのわからない」行動に映ったはずですが、精神科医となった今、私には母の行動に連続した意味があったはずだと感じています。

――連続した意味。

糸川 統合失調症の方に話を聞くと、起承転結がない場合があります。「先生のその靴は、私を殺せという合図だ」というふうに。なぜそんなふうに思うのか聞くと、得てして「ピンと来た」と言うんです。その「ピン」と感じる点は病気固有の起承転結の断裂に違いないのですが、そこにいたるまでの精神構造には、その人なりの因果関係があるはずで、妄想や幻聴といった一言では片付けられないところがあるのです。

母の従姉からいただいた、母の写真です。写真を見ながら家族に母のことを語れるようになりました