「型通り」の作品に、技量と個性と表現力が詰まっている
かように彼らは、江戸期の公的な絵の仕事をほぼ一手に担った。勢力・影響力は凄まじかったはずだが、今では創始者探幽ら一部の絵師以外あまり注目されることがない。庶民文化から生まれ出た北斎や若冲作品のほうが、親しみやすさや派手さに優るからか。たしかに現代の目で見ると、江戸狩野派は少々地味で型通りに映るやもしれない。
それでも、だ。当時の保守本流たる江戸狩野派の作品には、確かな技量と豊かな表現がたっぷり含まれているのは間違いないところ。かねて狩野派を積極的に取り上げ、展覧会を重ねてきた静岡県立美術館がこのたび本腰を入れ、江戸狩野派の魅力を余さず伝えんと乗り出したわけだ。
展示はまず、江戸狩野派の規範作とも言える狩野探幽《富士山図》を掲げたうえで、各家の様式を概観していく。狩野古川常信《十二ヶ月和歌歌意画帖》は、奥絵師・木挽町家の作例でさすが端正な佇まい。狩野洞琳波信《流水に梅鳥図》や、狩野洞白愛信《東方朔・西王母図屏風》は、表絵師の家系に属する作者の手になるもの。絵柄は正統な流儀に則りながらも、絵師の個性がしっかり滲み出ていて面白い。
19世紀に入って奥絵師の画風が統一化されていくさまは、狩野祐清邦信・狩野永悳立信《花鳥図屏風》や、河鍋暁斎の師匠でもある狩野洞白陳信の《山水図屏風》によく表れている。江戸時代を通して磨かれてきた様式が、ひとつの完成の域に達していることがよくわかる。
出品作は100点超で、ほとんどが初公開作品である。「江戸時代」「狩野派」という枠を超えて、日本文化の層の厚さと質の高さを実感できるはずだ。
同館には常設の広大な「ロダン館」もあり、近代彫刻の起点となったロダン作品を併せて観るのもいい。人間の創造性はなんと幅広くて自由なものかと感じ入ること請け合いである。