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「番組自体は本当に、やっていてくだらないなと思ったんですけど(笑)。基本、パンチラみたいな。ローアングルでパンチラ狙うし、3人乗りの自転車にミニスカで乗せられたりとムチャクチャでした。現場のスタッフも、そのころですから、コンプライアンスも何もないような制作チームで。ほんとになんでこんな馬鹿なことをやらされているんだって思ってました(笑)」

 当時のことを呆れたように振り返るさとうの表情は、どこか楽しそうでもある。「でも、それが編集されて30分になると、くだらなさが突き抜けて気持ちいいぐらい面白くなってる。ある意味すごいんですよ(笑)」

 

 そんな現場でも一生懸命に頑張れたのは、この番組が誰かに届いているという実感があったからだろう。「テレビの向こう側で楽しみにしている人がいるんだと思って。寒いとか暑いとか、朝6時開始で翌朝3時とか4時までずっと働かされても、現場では文句だけは言わないようにしてました。現場の空気感は崩さないで頑張ろうと」

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海外でのグラビア撮影

 20代後半になって、さとうは少しずつ、テレビの中で自分に求められるものが見えてきた。だが、それでも“売れた”という実感を得ることはまだまだできなかった。

「並行してグラビアをやっていたんですけど、当時はグラビアもお金があったのか、海外で撮ってもらったりしていたんです。でも、飛行機はずっとエコノミークラスで。エコノミーって窓から翼が見えるんですよね。ずっとその翼を見ながら、いつか私もビジネスクラスに乗りたいな、どうしたらそっちに行けるんだろうなって考えてました」

 その頃がスケジュール的にも一番ハードだったかもしれない、とさとうは語る。「移動が大変で、睡眠時間もないし……。でも、ようやくビジネスに乗せてもらったときに、ちょっと出世したのかなって思って(笑)。ただ、これで安泰だという気持ちには、なかなかなれなかったです」

 時は90年代末。迫りくる30歳の節目を前に何を思っていたのかと尋ねると、「27、8とかから、やっぱり普通だったら女の人は結婚とか、生き方の幅を考えるときなのかもしれないんですけど、私は何も考えてなかったんですよ、ほんとに(笑)」。

 

「何のためにギャラを払っていると思っているんだ」

 自らの人生について落ち着いて考える余裕もないほどに、当時のさとうは忙しかった。「バラエティのレギュラーが増えていた頃で、雛壇での感想トークとか、ほんと面白いことが何も言えないみたいな感じでした。それである日、APの女性にメチャメチャ説教されたんです。何のためにギャラをあんたに払っていると思っているんだ、笑い屋じゃないんだからって、ガンガン怒られて」

 その出来事は「ちょっとトラウマになっちゃってます」とさとうは語る。「自分でもわかっているんです。ほんとに私センスないなとか、うまい返しもできないなとか。それは今もなんですけど。そこから変に頑張りすぎて空回りして、反省してお酒を飲むみたいな毎日で。バラエティはほんと難しいなって、ずっと……」

 現場では、プロの勢いと力に圧倒された。「やっぱり芸人さんはすごいから、ウワーッと喋るその陰で、私は毎週ひと言もしゃべれなくて。すごく覚えているんですよね。今日も発しなかった、今日も発しなかったって」