ゼロ年代、テレビを点ければ、そこにはいつもさとう珠緒の姿があった。ぶりっ子キャラでバラエティ番組を席巻した彼女は、今の“あざとい”ブームの先駆者と言えるかもしれない。だが、その代わりにさとうは――世間から嫌われた。
20代前半、売れなければ芸能界を辞めるという背水の陣で臨んだオーディションで大役をもぎ取ったさとうは、『超力戦隊オーレンジャー』の現場でものづくりの熱さと面白さを知った。だが、そこから進出したバラエティ番組の世界では、全く別の壁にぶつかることになる。今年で48歳になったさとう珠緒に、“あの頃”の舞台裏を聞いた。(全2回の2回目/前編から続く)
(文中敬称略)
グラビアも競馬番組も「運が良かった」
『超力戦隊オーレンジャー』は、着実に次の仕事へ繋がっていった。番組を子どもと見ていた他局のプロデューサーから声がかかり、競馬番組のアシスタントにもキャスティングされた。船橋で厩務員をしていた祖父のもとで、幼い頃は馬と遊んでいたさとうにとって、願ってもないオファーだった。
「それはたまたまなんですけど、すごくうれしかったです。前のアシスタントが吉野公佳さんで、私も『オーレンジャー』のあとにグラビアをちょっとやっていたので、 “グラビア流れ”みたいなもので呼ばれました」
競馬好きの中高年男性が見る番組ということで、競馬評論家のアシスタントにはグラビアアイドル、というのがテレビ文法として自然だった時代である。「当時はグラビアアイドルの低迷期だったようで、人数が少なかったから、私でも出られたみたいです。その後、またグラビアアイドルが大流行して競争が激しくなったんですけど、私はすごく運が良かったんですよね。グラビアも、競馬番組も」
さとうは、その頃の自らの立ち位置を「スキマ産業みたいだった」と分析する。「ちょっと時代がずれていたら、全然はまらなかったと思います。戦隊ものだって、今ではとても注目されていますが、当時はそれほどでもなかったと思います。今は『仮面ライダー』の俳優さんもすごい人たちが出てきて、売れる役者の登龍門みたいになっていますけど。競馬もローカル枠の番組でしたし、私としてはそんなに“売れた”という実感はなかったです。ちょっと反響を感じ始めたのは、『ミニスカポリス』からですね」
「基本、パンチラみたいな……」
『オーレンジャー』の放送が終了した数カ月後、さとうは、ミニスカートをはいた婦人警官姿のグラビアアイドルやセクシー女優たちが出演する、お色気バラエティ番組の初代キャストに選ばれた。
「『ミニスカポリス』の頃は電車通勤だったんですけど、ある日疲れて電車で座っていたら、横でおじさんたちが『今夜はミニスカポリスだから、帰って見ないとな』って話していたんですよ。それがメチャメチャうれしくて。ああ、誰かにちょっとでもそういうふうに思ってもらえたんだって、自分のやっていることが報われたと感じた瞬間だったんですよね。疲れたサラリーマンの人たちが、少しでもしんどい仕事を忘れられる時間になったら、と」
番組の演出はテリー伊藤。90年代半ば、まだまだテレビが“なんでもあり”の空気を残している時代だった。