過激なデスマッチを繰り返し、「邪道姫(じゃどうひめ)」の異名で一世を風靡した元女子プロレスラーの工藤めぐみさん(56)。プロレス界随一の“アイドルレスラー”としても人気を博した。
1986年、16歳のときに全日本女子プロレス(全女)に入門し、1988年に退団。しかし、1990年にFMWのリングで電撃復帰する。なぜ彼女は再びプロレス界に戻ってきたのか。“アイドルレスラー”としての扱いや、グラビア撮影への葛藤とは――。今年デビュー40周年となる彼女に話を聞いた。(全3回の2回目/3回目に続く)
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退団後は保育補助の仕事を開始
――88年4月、工藤さんは全日本女子プロレスを退団して、保育補助の仕事に就きました。
工藤めぐみさん(以下、工藤) 次の仕事まで楽しむ期間もありました。16歳で全女に入ってプロレス漬けの生活だったので、友だちと遊びたかったんです。ただ、時間が経つと「このままじゃいけない」と葛藤するようになって、保育補助の仕事を始めたんです。
昔から子どもが好きだったんですけど、保育士の資格を取るのはハードルが高くて。そんなとき、「保育補助募集」の貼り紙を見て応募したんです。
――プロレスとは違うやりがいがあったと思います。
工藤 そうですね。大好きな子どもたちと関わることができて、先生たちもいい方ばかりだったので、いい環境でお仕事ができました。
元同期と観戦「このレベルで試合に出ていいの?」と思っていたら…
――90年3月、元同期の豊田記代さん(コンバット豊田)、天田麗文さんとプロレスを観に行って、運命が動き出します。
工藤 それまでは後ろめたさからプロレスと距離を置いていたんです。「しっかりケガを治していれば自分もやれたんじゃないか」という後悔の念が押し寄せてきそうで、プロレスを観ることはありませんでした。
現役のレスラーとは交流していませんでしたが、退団した同期とはたまに連絡を取っているなかで、「男女混合の団体」ということに興味が湧いて、豊田、天田とFMWの興行を観に行くことになったんです。
女子の試合を観て「このレベルで試合に出ていいの?」と思っていたら、天田がリングに向かっていました。試合をぶち壊すような発想はなかったけど、私もつられるようにリングに上がっていたんです。
