グラビアのオファーで譲れなかったこと

――ヌードはやらないと決めていたとか。

工藤 あくまでメインはレスラーなので、ヌードになるのは違うだろうと。気乗りしなかった写真集も、周囲の「やってみたら」という声で挑戦しましたが、そこだけは譲れなかったんです。

――グラビアアイドルから「現場に行ったら際どい水着が用意されていた」という話も聞きますが、そんなことはなかったですか?

ADVERTISEMENT

工藤 事前の衣装合わせでしっかり意見を伝えたんです。「この水着は嫌です」「これもちょっと……」と、ほとんど拒否していたので、スタイリスト泣かせだったと思います(笑)。事務所の社長は板挟み状態でしたが、私に無理強いすることはありませんでした。

――カメラマンや編集者に言いくるめられることもなく。

工藤 最初の撮影は普通のワンピースだったんですけど、肩紐を胸まで下げるように言われて。結果的に本来のワンピースの着方とは違う形で、露出が多くなっていました。

 カメラマンさんによると、私の警戒心が強かったから、最初に露出を多くして開放的になってほしかったそうです。まんまとはまってしまいました(笑)。

工藤めぐみさんの写真集(Amazonより引用)

インパクトがあった笑顔がアップの『週刊プロレス』表紙

――91年4月には『週刊プロレス』の表紙にもなって。工藤さんの笑顔がアップになった写真はインパクトがありました。

工藤 撮影していたときは、表紙になることを知らなかったんです。編集部に寄ったら「最新号ができたので」と見せてもらったんですけど、すぐには自分だと気づかなくて。

 うれしかったけど、「コスチュームでもないし、目をつぶっているし、いいのかな?」と思いました。いまでも「サインしてください」とあの表紙の『週刊プロレス』を持ってくる方が多いんです。

撮影=榎本麻美/文藝春秋

次の記事に続く 「首にチェーンを巻かれて意識を失った」「火炎攻撃で背中が燃えて錯乱状態」“過激な試合”で命の危険も…“伝説の女子レスラー”工藤めぐみ(56)がそれでもデスマッチを続けた理由

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。