文春オンライン
「本番の約束でしょって、騙された…」“援デリ”の家出少女たちは数か月で別人になった

「本番の約束でしょって、騙された…」“援デリ”の家出少女たちは数か月で別人になった

生い立ちは悲惨かもしれないが、彼女らは決して「可哀そう」ではない

2021/06/24
note

 なるほど補導対策らしいが、僕はそのためだけに同伴ドンキを許されたらしい。年上のキャバ嬢風なお姉さん方とすれ違う際には、ぺこりと小さく頭を下げた。

「盛りっすねー」

「盛り盛りじゃね?」

ADVERTISEMENT

『アンダーズ〈里奈の物語〉』7話より ©文藝春秋

彼女らには身一つで稼いでいるという矜持がある

 同じ少女である。夏が始まった頃に初めての客を取ってフルフル震えていた少女が、いまやまるでドンキの主。ひと夏を生き抜いた少女らのギラギラした瞳に宿っていたのは、爆発しそうな「矜持」だった。

 客と対峙する恐怖、いつ暴力の被害に遭うかもしれない不安を毎日乗り越え、危険と引き換えに、自分たちは自力で稼いでいる。

 値札? んなもん見るか。あたしらの財布見るか?

 今ドンキにいる客の同年代で自分たちより稼いでいる奴なんか絶対にいないし、大人を含めたって自分たちより根性座ってるやつはいないだろう。

 はいはい、売春婦ですよ。けど白い目なんかで見てみろ、倍の眼力で睨み返してやんよ。

「あんたら一般人とは違う」。これが援デリの少女らの抱える、ギラギラした矜持だった。

 子どもであるということは、大人が「ここ以外にいてはならない」と定めた場所以外にいることを許されないということだ。けれど彼女たちは、世の中の大人が定める居場所なんか蹴り捨てて自分の居場所を自分で決め、そこで誰にも支配されずに自由に生きている。大の大人が1週間バイトをして稼ぐ金を、2日で稼ぐ。しかも危険に立ち向かって身を張って!

当事者意識が欠落した規制案に違和感

 コロナ禍の中、多くの要望があったにもかかわらず、国は性風俗産業に持続化給付金を出さずにスルーし続けた。6月頭、立川でデリヘル嬢を惨殺した19歳の少年は「あんな商売をやっている人間はいなくていい。風俗の人はどうでもいい」と警察に語ったという。

 遡れば、切り裂きジャックが街娼ばかりをターゲットに惨殺して回ったのは、1888年のこと。セックスワーカーに対する差別は、日本に限らず連綿と歴史の中にあり続けてきたものだが、昨今のセックスワークに絡む議論には、違和感がある。

 セックスワークとは貧困にある者の自助努力の一つであり、業界はその場を提供し受け皿となる私的なセーフティネットだ。

 危険で不適切な自助努力であれば、セックスワークを規制し、そこで働く当事者を福祉制度の充実でカバーすべきだ。

 セックスワークを法の中で適切に「管理」できる産業とすればいい。

 様々な立ち位置があるものの、どこにも違和感を覚えるのは、論じるすべての者に「当事者感覚を内包しない議論は、その議論そのものが有害」という視座が抜けているように感じてならないからだ。

『アンダーズ〈里奈の物語〉』4話より ©文藝春秋

リスペクトなき憐憫や同情は、差別に等しい

 僕が過去に取材の数を重ねてきたのは、セックスワークの中でも性風俗ではなく売春、特に未成年が他者の管理下で行う売春だった。

 売春と性風俗は、グレーゾーンを介してスペクトラム状につながっているが、その両極端を見れば、本質的には別物だと考えていい。けれど、そのメンタリティに共通するのは上記の少女らが見せたような「矜持」。この矜持こそ、セックスワークを論じる際にもっとも見失ってほしくない、現在の議論からは欠けてしまっている当事者感覚だと思う。