北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)総書記の妹である金与正(キムヨジョン)。韓国平昌五輪の出席の際には、優しい口調で世話係を気づかうなど、礼儀正しくしとやかな印象を与える。その一方、2020年の南北連絡事務所爆破に先立つ予告の談話では、「汚物(脱北者)を排除」、「クズの茶番劇」と激しい罵倒を投げつける――。最高機密である正恩氏の健康状態を知り、常に正恩氏のそばから離れない「独裁者の妹」とは、どんな存在なのか。
朝日新聞記者の牧野愛博氏は、金日成(キムイルソン)の血を引くファミリーの争いを勝ち抜いた兄妹について、『金正恩と金与正』(文藝春秋)でそのベールを剥いだ。同書より、金与正の正体について、一部を抜粋して紹介する。(全2回の1回目。後編を読む)
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スポットライトへの渇望
「礼儀正しい」「政治に関心がある」などの側面を見せる金与正氏とはどんな人物なのだろうか。
韓国統一省の「2020年版北韓主要人物情報」によれば、与正氏は1988年、金正日総書記と在日朝鮮人だった高英姫氏との間に生まれた。2014年3月、金正恩氏が最高人民会議代議員選挙に投票する際に同行するなど、公式な活動を始めるまでは、金日成総合大学を卒業したという程度の情報しかない。過去、北京や瀋陽に現れた北朝鮮当局者らは、いずれも与正氏のプライバシーに踏み込むことをためらった。ロイヤルファミリーの私生活は、北朝鮮の人々にとって最大のタブーにあたるからだ。
与正氏の人柄をちらりとうかがわせる機会になったのが、18年2月、平昌冬季五輪開会式に出席するため、初めて訪韓した時のことだった。当時、与正氏と面会した韓国政府関係者によれば、与正氏のしぐさには特徴があった。有名芸能人のように「見られている」という事実に快感を覚えているような動きだった。関係者の一人は「ソウルから平昌に移動する際や開会式の会場などで、常に他人の視線を楽しんでいた。他人が視線を向けると面はゆいような笑みを浮かべた。状況に応じて態度も変えていた」と語る。
五輪開会式では、文在寅大統領夫妻と笑顔であいさつを交わす一方、同席したマイク・ペンス米副大統領や安倍晋三首相には視線すら向けず、一切無視した。当時、日朝首脳会談の開催を目指していた安倍首相は、金正恩氏に直接メッセージを伝えてもらおうと、金与正氏との接触を試みた。安倍首相は、厳寒のなか、開会式が始まる直前までスタジアムのVIP専用区域への入り口に立ち、与正氏を「入り待ち」したが、開会を告げるアナウンスが流れても、与正氏は現れず、見事にかわされた。当時、安倍首相に随行した関係者の一人は「総理が与正氏との接触を諦めて、着席するやいなや、与正氏らが入ってきた。その瞬間、我々や他の出席者の視線はみな与正氏に注がれた。普通なら、笑顔を見せたり、手を振ったりするものだが、周囲を一瞥もせずに、スーッと自分の席に着いてしまった。ああ、視線を注がれることに慣れている人なんだなあと思いましたよ」と語る。