北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)総書記の妹である金与正(キムヨジョン)。韓国平昌五輪の出席の際には、優しい口調で世話係を気づかうなど、礼儀正しくしとやかな印象を与える。その一方、2020年の南北連絡事務所爆破に先立つ予告の談話では、「汚物(脱北者)を排除」、「クズの茶番劇」と激しい罵倒を投げつける――。最高機密である正恩氏の健康状態を知り、常に正恩氏のそばから離れない「独裁者の妹」とは、どんな存在なのか。

 朝日新聞記者の牧野愛博氏は、金日成(キムイルソン)の血を引くファミリーの争いを勝ち抜いた兄妹について、『金正恩と金与正』(文藝春秋)でそのベールを剥いだ。同書より、金与正の正体について、一部を抜粋して紹介する。(全2回の2回目。前編を読む)

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兄の耳となり介護役となる妹

 仕掛けた政策が空回りすることはあっても、金正恩氏にとって金与正氏が特別な人であることに変わりはない。19年2月のハノイでの米朝首脳会談決裂を受け、一度は党政治局員候補から退いた与正氏だったが、20年4月には同じ政治局員候補に復帰した(21年1月には、再び党中央委員に降格)。

 正恩氏が与正氏を頼るのには3つの理由がある。ひとつは孤独だった兄妹に生まれた強い愛情だ。一般社会と隔離された生活を送るなか、三兄妹が強い愛情で結ばれるのは自然な流れだった。そしてふたつめは金正恩氏に信頼できる部下がいないという現実だ。正恩氏は権力継承から9年以上経った今も、頻繁に党や軍の人事を行っている。例えば、軍総参謀長の場合、現職の朴正天氏で7人目にあたる。1人あたりの平均在任期間は1年ちょっとでしかない。10年近く務めるのが当たり前だった金正日総書記時代とは大きな違いだ。 

『金正恩と金与正』(牧野愛博)

 これは権力が1人の人間に集中することを恐れた結果とみられるが、逆にそれだけ、金正恩氏には信頼に足る部下が不足しているという実情を物語っている。困った金正恩氏は、これまで日が当たらなかった女性まで動員している。李雪主氏と結婚する以前、親密な関係も噂された玄松月氏は牡丹峰楽団の団長を務めた後、18年2月には三池淵管弦楽団を率いて訪韓し、演奏会を指揮した。その後、党副部長にまで昇進した。1990年代の米朝協議や、その後の6者協議などで北朝鮮代表よりも権力があるような立ち居振る舞いを見せ、「なぞの通訳」として有名だった崔善姫氏は、金総書記時代は副局長止まりだったが、今では第1外務次官に昇進した。玄氏も崔氏も党中央委員だ(21年現在、玄氏は党政治局員候補、崔氏は党中央委員候補)。人脈に乏しく、本音で語り合える側近が足りない正恩氏にとって頼りになる存在なのだろう。