現在、600万台が流通しているとされる北朝鮮の携帯電話だが、金総書記は普及に消極的だった。04年4月、平安北道龍川郡にある鉄道平義線(京義線)龍川駅付近で、金総書記の暗殺を狙った可能性も取りざたされた爆発事故が起きた。金総書記は事故後、携帯電話の普及事業をいったん停止させた。携帯電話を使って金総書記の動きをリアルタイムで把握されてはたまらないと考えたのだろう。北朝鮮では4年以上経った08年12月、逓信省がエジプトのオラスコム・テレコム社との合弁会社「高麗リンク」による第3世代携帯(3G)サービスを始めた。このとき、コンピューターに精通し、海外の情報に明るい金与正氏は、慎重な父親に対して、情報化社会が北朝鮮の発展に貢献するという事実を論理的に説明し、説得したという。
「与正が男だったら、後を継がせるのに」
09年初め、金正日総書記は自身の後継者として金正恩氏を指名した。金総書記はその半年前に脳卒中で倒れていた。自分の余命が残り少なく、生きているうちに権力継承を終えなければならないと考えたようだ。そのとき、与正氏は「自分も政治の世界に身を置きたい」と訴えたという。金総書記は平素から、聡明な与正氏を愛し、「与正が男だったら、後を継がせるのに」と漏らしていた。その父の言葉に触発されたのかもしれない。あるいは、「女性は政治に参加してはいけないのか」という反発の気持ちがあったのかもしれない。
実際、後継指名の場に同席していた金総書記の実妹、金敬姫氏は与正氏が政治に参加することに反対した。自分の兄である金総書記が普段、「雌鳥が鳴き叫べば、家が滅びる(女性が力を持つと、ろくなことがない)」という朝鮮のことわざを好んで使っていたことを知っていたからだ。北朝鮮には封建主義が色濃く残り、「男尊女卑」が当たり前だと思われている。特に金総書記の場合、金日成主席からの権力継承を巡り、金主席の後妻、金聖愛氏と熾烈な権力闘争を繰り広げた経験もあり、女性が権力を持つことを極度に警戒していた。金敬姫氏もそんな社会の雰囲気を敏感に察し、党幹部ではあったものの、服装も地味で公式の場でもなるべく目立たないようにしてきた過去があった。
金敬姫氏のアドバイスを聞き入れたのか、金与正氏は11年12月に金正日総書記が死去するまで、公式の舞台に出てくることはなかった。与正氏は、自分の能力に自信があっただけに悔しい思いをしたようだ。前面に出たがるのも、北朝鮮社会へのレジスタンスかもしれない。南北関係筋によれば、北朝鮮当局者は与正氏の能力について「常に一から十まで綿密に検討してから行動に移る。だから、国内の政策で失敗したことがほとんど無い」と高く評価する。金総書記の死後、人脈も経験も不足する正恩氏は与正氏を頼った。与正氏は水を得た魚のように働き始めた。
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◆金日成の血を引くファミリーの争いを勝ち抜いた兄妹、金正恩と金与正の正体について、全文は『金正恩と金与正』に掲載されている。