親子の病的な共依存
母親が私の「性」をどうしてここまで否定したかというと、私と母親が共依存の関係にあったからだと考えられる。母親は、私が異性と仲良くすることで、この世で唯一、同じ境遇を共有する娘を誰かに取られることを激しく恐れていたのだと思う。
うちは阪神・淡路大震災以降、経済的に困窮していて、父親はアルコール依存症であり、頻繁に仕事を辞めてきては、一日中酒を飲むだけの生活を半年から1年以上続けるなどしていた。父親は父親で複雑な家庭に育ち、母親と結婚するまで家族がいなかったためか、自分の妻や子どもとの関わり方がわからず、うちにいる間は誰とも話さず、一切関わろうとしなかった。
私たち子どもが父親と会話した経験がほとんどないまま成長したことを思うと、はじめから我が家は、家庭としての機能は果たしていなかったように思う。兄は子どもの頃から母親の目を盗んで私を殴ったり虐めたりするようになり、そのうち暴力の矛先は母親にも向きはじめ、彼が中学生になる頃には、私と母は手がつけられないほどの家庭内暴力に悩まされるようになった。
父親は私や母が殴られて怪我をしていても、壁や家具が破壊され尽くしてもまったく無関心で、兄の怒鳴り声がうるさくてテレビの音が聞こえないときだけ「うるさい」と大声で怒りを露わにしたり、母親に対して「(兄を)もう刑務所にぶち込め」などと言うくらいだった。
そんな劣悪な環境下で、私は母親にとって「運命共同体」のようなものであり、唯一の精神的な支えとしての役割を果たすようになったのだと思う。だからこそ、母親は無意識のうちに私を心理的に支配しようとし、私が自分の元から離れることを懸念して、異性との交友や自分の知らない人間との関係構築を防ぎたかったのだろう。
「あんたはいいよね、一人だけ逃げられるんだから」
10代の頃、私が暴力に耐えかねて何度か「生活費などは自分で稼ぐから家を出たい」と申し出たとき、母親は私を激しく非難した。そのたび「あんたはいいよね、一人だけ逃げられるんだから」「あんたなんかより私の方がよっぽどしんどい」と言い、私が大学に通いながら家を出ようとしていることに対して「今の自分と将来の自分、両方を守ろうなんて都合が良すぎる。あんたが学校を辞めたらまだ考えてあげてもいい」と、私がその選択をできないことをわかっていながら、なんとしてでも家から逃れようとするのを阻止した。