1ページ目から読む
4/4ページ目

外界とのつながりを遮断されること

 私が母親との関係性が「病的である」と自覚したのは、ほんの2年ほど前、20代後半になってからのことだ。さらに、母親から「支配されていた」「虐待されていた」と自分自身で認め、向き合うことができたのは、カウンセリング治療を続けてから1年が経ち、29歳になってから、つい数ヶ月前のできごとにすぎない。それまでは、自分が自分の人生を歩もうとしていることをひどく後ろめたく感じ、常に「母親にひどいことをした、母親がかわいそうだ」と、母親のそばにいられない自分を責め続けてきた。

©iStock.com

 現在、私は鬱病と心的外傷後ストレス障害(PTSD)の治療を続けている。実家から逃げたあとも、罪悪感から母親との連絡は続け、電話口で「金がない」「帰ってこい」と泣かれることが頻繁にあった。これまで私は精神科に通院していることを頑なに母親に隠していたが、私を執拗に実家に連れ戻そうとする母親に、実家に戻ると病状が悪化する危険性があることを伝えると「あんたが鬱病になるわけない、そいつはヤブ医者だ」「あんたになんのストレスがあるっていうの?」と毎回、強く反発し、否定された。

 そのたび私はパニック発作のような状態になり、とっさに電車に飛び込もうとしたり、ビルから飛び降りようとしたりなど、自分の意思に反してたびたび自殺を図るようになった。そのため、今では医者の指示もあり、母親を含む家族の連絡をすべてブロックし、絶縁状態となっている。

ADVERTISEMENT

社会から孤立しがちな「家族」

 そんな状態まで追い詰められなければ母親との関係を切れなかったことを考えると、子どもの頃から親と共依存で、大人になってもまだ親の呪縛から逃れられない人たちは、想像を絶するほどいるのだと思う。

 もっと早くに第三者が介入してくれたり、助けを求められていれば、と過去を嘆くこともある。義務教育すら受けさせてもらえず、ついには祖父母を殺害してしまった少年が、外界の誰かとほんの少しでも繋がっていられれば、とも、強く思う。

 現在の日本において、家族とは、社会から断絶された孤島のようなものだ。子どもの権利よりも保護者の決定が優先されるために、家庭内のことには口出し無用、とみなが暗黙のルールを共有している。

 まずはその認識を壊すところから始めなくては、同じような境遇の子どもを救うことはできないのではないか。私たち大人が子どもを孤立させないために、見守り、介入し、保護やケアにつなげることを他人事ではなく「自分ごと」として問題意識を持つことが、社会的なセーフティネットを機能させるうえでは必要不可欠なのではないか。