安楽死や脳死など、長きにわたり、人の「死」をテーマに追い続けてきた立花隆さんが、4月30日、80歳で亡くなりました。がん、心臓手術を乗り越えた、当時75歳の立花さんが、最新の脳科学の知見を得て到達した理想的な「死」について語ったインタビューを再公開します。(初公開:「本の話」2015年12月6日。記事中の肩書・年齢等は掲載時のまま)
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――「死がこわくない」のはなぜですか?
自然にそういう気持になったんです。そのことに自覚的になったのは、今回の本(『死はこわくない』)を書き終えたときですね。気持的に、自然に死がこわくなくなったんです。だから、自分でいろいろ取材して調べた結果、ロジカルな結論としてそのような考えに至ったということではなくて、自然な気持の流れとして自然にそうなっていたということです。ぼくは今年75歳で後期高齢者になったんですが、その要素というのがいちばん大きい背景だと思います。
今回の本のなかでは触れていませんが、ロバート・カステンバウムというひとが、人間は年をとるとどういうふうに心境が変化するのか、年齢に応じてそのひとのこころがどういうふうに変わるのかについて書いています。そして、キケロも61歳のころ、『老年について』を書いています。この本は、大カトーが将来有望な若者二人を自宅に招いて老年論を対談形式で語るという体裁になっていますが、いま読んでも非常に面白い本です。とにかくいろんなひとが「老年」について書いていますが、そういうのを読むと、自分もそういう年齢になったこともあって、なるほどと思わされることが多いですね。
人間というのはおのずから、過去の蓄積の上にあたらしい日々を迎え、年をとっていくわけで、その蓄積が自分のなかで生きたものとして醸成され、そのひとの「いま」を作っているという側面があります。
やっぱり後期高齢者になってみないと、わからないことが相当あると思いますね。つまりあなた方はまだ若いから、後期高齢者になるのに何十年も必要でしょう。そういうひとは、自分では「死」を知ったつもりになっていても実は全然分かってない、というか分かりようがないということなんです(笑)。
――若い頃には、こうした心境に至るとは思いもしなかった?
そうですね、偉そうなことを若い頃から書いてきましたが(笑)、いま若いときに書いたものを読み直すと、チャンチャラおかしいという感じの部分が相当ありますね。