死をどう思うかは、年齢を重ねないとわからない
やっぱり年齢を重ねると、年をとっただけのことは自然とあるんですね。とくに人間が年をとったときにどうなるかとか(心身ともにですが)、それから死ぬことについてどう思うようになるかとか、そのあたりは自分が本当に年をとって死が近く見える年齢にならないと、本当のことはわからないと思います。
死がこわい、こわくないという話で言えば、もっぱら若いときは「死」がこわくて当然なんです。若さにとって死はアンチテーゼそのものですから。さらに、世の中にはいろんなひとがいて、敏感なひとと鈍感なひとがいるから、一概には言えないけれども、人間の生理的な思考におよぼす影響からして、若い頃はやはりこわいに違いないんです。ぼくにも事実、死というのを簡単には考えられないという時代がありました。
しかし、いまは慣れ親しんでいるという感じですね。ある程度の年齢に達したひとがどんどん死んでいくという、そういう年齢に入るわけですから、自然と「死」というものが慣れ親しんだものになってくるんです。だから、自然とこわくなくなりました。
――人間が死ぬときはどういうふうになるのでしょう。
今回の本や、20年あまり前に発表した『臨死体験』(文春文庫)でも書いたことなんですが、そのひとが死ぬ状況によってずいぶんちがうと思います。そのひとの肉体的条件、あるいは短い人生の時間幅のなかで、どういう時間帯のなかに位置しているのかっていうね。そういうことがものすごく影響すると思います。ただ、基本的に年をとったひとであれば、自然と落ち着いた気持で死にアプローチできるようです。
最晩年にいろんな出来事や状況変化があって、精神的に混乱をきたすようなことに遭遇したひとには当てはまらないかもしれませんが、ごく普通に後期高齢者を迎えたひと、そういうひとは自分自身の人生をルックバックすると、60代後半だとまだでしょうが、70歳を超したあたりからすごく安定した気持になるものなんです。そしてさらに5年たって後期高齢者になる。この5年は大きいですね。ぼくもそうですが、周囲に亡くなる人がふえて、そのたびに落ち着いて全体を振り返れるようになる。
自分の人生全体を過去のものとして振り返る。いろんなことがあったにしても、気持として全体を見渡せる心境になったときというのはね、個人差があるにせよ、大半のひとはすごく安定した気持で振り返ることができるんではないでしょうか。
ある意味で「死にどき」と言うことができると思いますが、そうした「いつ死んでもおかしくない」時期に自分自身が差し掛かったんだ、ということでしょうね。