思いのほか楽しい。楽しむのは、不謹慎なのだろうか? そんなことをぼんやりと考えながら、書き写していく。これは婚活だ。どんな女性が参加しているのかは気になる。しかし、周囲を眺めるわけにはいかない。やはり、寺社婚活は根本的なありかたが矛盾している。ここには、異性と親しくなりたいという、邪念をはらんだ気持ちで男女が集まっている。にもかかわらず、雑念を振り払う写経や座禅を行うのである。
写経が終わると、それまでに体験したことのない達成感を覚えた。
次は座禅。また部屋を移動して、用意されていた座布団に一人ずつ座っていく。座禅も初体験だった。時間は10分。初心者のための短縮版らしい。背筋を伸ばし、黙って座っていればいい。警策で打たれることはないが、希望者は黙って挙手をすると、体験できる。思い出作りのようなものだ。せっかくなので、打ってもらった。パシィ! と心地よい痛みが肩から背中にかけて走った。
このころになると、昼が近づき、空腹を覚える。キュルルル。ついに僕の腹が鳴った。隣の女性が笑いをこらえている。目線だけを彼女に向け、愛想笑いをした。キュルルルルルル。また鳴る。もはや自分ではどうすることもできない。短いはずの10分がとても長く感じられた。
婚活だったはずなのに、半数の女性は二次会に参加せず
座禅を終えるとお寺をあとにして、二次会会場の居酒屋へ向かった。しかし、想定していないことが起きた。半数の女性が二次会に参加せずに帰ったのだ。写経と座禅が目的で、婚活に興味がなかったのか。男性参加者の顔ぶれに失望したのか。僕も含め男性参加者たちの落胆は大きかったが、しかたがない。スタッフのアテンドで、残ってくれた7人の女性と14人の男性で居酒屋へ移動した。会場に移動すると、スタッフは去り、あとは放置状態。大人同士で好きにやってください、ということなのだろう。
二次会は盛り上がりに欠けた。女性が減ったせいもあるが、寺社婚活だからだろうか、もともとおとなしい人ばかりなのだ。
多数の参加者の婚活の場では顔を憶えられた方がいいので僕は幹事を引き受け、お酒や料理のオーダーをまとめたり、お金を集めたりした。そのついでに連絡先も交換。その中の二人の女性と連絡を取り合い、うち一人とはその後一度だけ食事をしたが、それっきりである。
イベント婚活は、イベントそのものも楽しもうという気持ちで参加するのならば、決して悪いものではない。日常とちがう場面で、相手の人間性が見えることもある。50代後半の僕でもその後、デートにまではこぎつけられたのだから、前向きに参加したらきっと楽しいこともあるだろう。
一方で、これを婚活のベースにするのはあまり効率が良いとは言えない。あくまでも婚活中のアクセントくらいに考えてみるのがいいのではないかと思う。
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