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 ただ、当時における「エア ジョーダン 1」の斬新さは、デザイン以上にカラーリングにあった。

 1980年代は、まだ流通規制が今に比べて随分とゆるかったこともあり、個人的な別注や、地域限定のカラーなど、アンオフィシャルなモデルが多かった。そのため「エア ジョーダン 1」についても、当初用意されたカラーリングの数が今もはっきりとしておらず、ジョーダンの背番号にちなんだ23種が存在した、などともまことしやかに言われている。

エア ジョーダン1 ロイヤルブルー 写真=筆者提供

 ともあれ当時、ナイキはサポート契約しているチームのカラーをシューズに反映させるという戦略を取っていた中で「エア ジョーダン 1」は特別な扱いを受けていた。

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販売戦略はあの「ダンク」と同じだった

 なおナイキには「エア ジョーダン 1」と同じ年に生まれた名作とよばれるシューズが複数存在する。その一つがソールにエアを搭載しない廉価版バスケットシューズ、「ダンク」である。

 NCAA(全米大学体育協会)バスケットボールの世界には「マーチ・マッドネス(3月の狂気)」という有名な言葉が存在する。これはシーズンを締め括る3月の決勝トーナメントのことを指すが、それこそ日本のウィンターカップや甲子園、箱根駅伝などとは比較にならないほどの盛り上がりを見せ、チケット、グッズ、放映権などを通じて巨大な経済効果を生み出している。

 その熱狂を目の当たりにしたナイキ社員が、異様とも言えるファンの地元愛にビジネスの勝機を感じ、発売に至ったとされるのが「ダンク」だった。

 ナイキは有望な名門8大学のチームカラーで彩られた「ダンク」を地域ごとに展開。「母校に忠誠を尽くせ」という広告スローガンとともに、それぞれの地域に根付いたファンを囲い込む戦略をとった。おそらく「エア ジョーダン 1」の多色展開は「ダンク」の戦略をベースにしていたと思われる。

「エア ジョーダン 1」は本当にNBAのルールに抵触したのか

 最も有名な黒×赤、通称“ブレッド”と呼ばれる「エア ジョーダン 1」のカラーは、NBAの「ユニフォームの統一性に関する規約」に抵触していた。そのためジョーダンは度重なる着用禁止令にもかかわらず、ナイキが罰金を肩代わりして履き続けた、というエピソードが有名だが、これは美談でも何でもなく、アーバン・フォークロア(都市伝説)の類だと著者は考えている。