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2021/07/10

 そもそもだが、先ほど記した通りで、ジョーダンが「エア ジョーダン 1」を履いたのは、開幕の少し後になる。そしてプレシーズンマッチの時点で黒×赤の「エア シップ」を履いたジョーダンを見たNBAは、白を基調にしたシューズを履くチームメイトに比べ、彼だけが目立っていることを快く思わなかった。バスケットボールとはチームスポーツで、選手の足元もある程度統一されるべき、と理解されていたからだ。

©iStock.com

 そこでNBAは「ジョーダンが再び黒×赤を着用した場合は1000ドルの罰金を科す」とブルズに申し伝え、「約束を守らなかった場合は5000ドルに増やす」と勧告した。そのためナイキはその規制をクリアする代替案を用意することを余儀なくされ、白ベースの「エア ジョーダン 1」、“シカゴ”を急造した。

 そのため、実際にルーキーシーズンでジョーダンが着用したのは“シカゴ”か、白ベースに黒と赤が差し色になった通称“つま黒”だった。そしてジョーダンが確実に黒×赤の「エア ジョーダン 1」を履いてプレイしたのは、1985年2月9日に開催されたオールスター・ウィークエンドとなる。

「キャリアの中で一番傷ついた出来事だった」

 ちなみにオールスターでは、レギュラーシーズンに適用されるルールが義務付けられていない。そのため、スラムダンクコンテストなどのイベントに出場する選手たちは、思い思いのコスチュームに身を包み、客を沸かせてきた。

 このお祭りルールを知った上で、代理人のデビッド・フォークは禁じられたバッシュと、チームジャージーではないナイキのウォームアップ・スーツ、さらに金のネックレスを首から下げたジョーダンを、コンテストへとエントリーさせたのである。

 しかし、その衣装を生意気と見なしたベテラン出場選手たちは、翌日の試合で、手厳しい制裁をジョーダンに科す。ジョーダンは相手からラフなディフェンスを受け、味方からもパスを回してもらえなかったのだ。

 この出来事をメディアは「フリーズアウト事件」と報道した。図らずもプロモーション戦略の被害者となったジョーダンは「キャリアの中で一番傷ついた出来事だった」と振り返っている。

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1995年のエア マックス (中公新書ラクレ, 735)

小澤 匡行

中央公論新社

2021年7月7日 発売

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