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「寂しい」と言われるたび、大阪に仙台に駆け付けた… 野村克也が“最後の1年”に語っていた“第二の人生”

『遺言 野村克也が最期の1年に語ったこと』に寄せて#1

2021/07/02

source : ノンフィクション出版

genre : エンタメ, スポーツ

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 妻の死で、己の終焉も遠くないと実感した野村は、教え子たちが“ユニホームを脱いだ後”の人生をいかに生きているのか、しきりに気にかけていた。その姿は父親のようだった。

 人は誰でも、これまで着ていたユニホームを脱ぐ瞬間がある。

 学生なら制服を、社会人なら就職、結婚、介護、転職……人生の節目に大きな変化が訪れる。その変化をどう捉え、どう選び、どの道を歩んでいくのか―。

 特に、人生の後半戦を迎える世代に、野村の考えを伝えたいと考えていた。
 

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©文藝春秋

訃報。即、断念。

 突然の訃報。私はたちまち出版する気力を失った。父を喪ったような深い悲しみに加え、「人の死で金儲けをしている」「死に便乗している」と思われたくない、と強く思ったからだった。

 しかし、野村克也の息子である克則さんから「約束したなら出した方がいいよ」と、死の当日、なきがらの前で言われた。妻の有紀子さんからも、「お義父さんの言葉を残したいです」と言ってもらった。

 元選手や番記者たちから、「飯田しか知らないことがある」「俺は読みたい」「野村さんの供養になる」と声をかけてられた。

ある日、番記者と会った帰り道、電車のホームで叱られた。

「おまえさあ、ノムさんとの約束、守れよ!」

“約束”という言葉が、胸にずしんと響いた。

 それでも悲しみが大き過ぎて、何も手に付かないまま昨年6月、野村の誕生日を迎えた。

 そんな私を突き動かしたのは、世界中を覆ったコロナ禍だった。

 世界はウイルスのせいで恐怖の中にいる。

「自粛」「外に出るな」。どの国も鎖国状態に陥った。誰もが外に出ることをためらい、未来に何の約束もできない。生きることに希望を持ちづらい日々。

 プロ野球選手が野球をできない。学生が学校に行けず、部活動も中止。大切な人の葬式も、楽しみにしていた結婚式も、準備をしていた留学もできない…。