文春オンライン

「人間、不器用でいいんだよ」 野村克也の誕生日、追悼試合で野村家がつけていた“マスクの秘密”

『遺言 野村克也が最期の1年に語ったこと』に寄せて#2

2021/07/02

source : ノンフィクション出版

genre : エンタメ, スポーツ

note

前編から読む

甲子園にやってきた兄

 6月29日、野村の誕生日。生きていれば、86歳を迎えるはずだった。阪神球団の計らいで、追悼試合が行われた。甲子園球場の正面入り口には、阪神の指揮官当時の野村の写真が掲げられ、その横に【生涯一捕手】と記された。球場外の壁沿いには、野村とゆかりのある選手たちが感銘を受けた言葉を紹介する【私の野村ノート】と呼ばれるコーナーも設置された。

 野村監督が率いた時代を知る者も、知らぬ者も、記念写真を撮っていた。熱心に“野村語録”を読んでいた。

 この日、球場の旗はすべて半旗となった。駅前広場には、阪神監督時代の背番号「82」「73」が街灯バナーとして設置された。

 3歳年上の兄・嘉明さんは、京都から家族とともに訪れた。長年、弟との交流が叶わなかった兄は、先に逝ってしまった弟を悼み、同時に誕生の日を祝うため、野球場にやってきた。

ADVERTISEMENT

野村克也(左)と王貞治 ©文藝春秋

「克也の兄です。お世話になりました」と優しいまなざしで挨拶をしてくれた兄は、選手や観客の温かい空気に包まれ、何を思っただろう。

孫娘がマスクに込めた思い

 コロナ禍のいま、観客や関係者は当然、マスクを着けていた。顔の半分を布で覆う生活は、1年半近く続いている。それは自由を奪われた象徴でもある。

6月29日、家族で野村克也の誕生日を祝った 写真:筆者提供

 そんな逆境を“逆手に取った”のが、〈野村家の特製マスク〉だった。高校2年生の孫娘・彩也子さんがデザインしたマスクは、面積の半分がヤクルトのチームカラーを模した水色、もう半分は阪神を想起させる黒×白の縦縞柄。〈73ノムラカツヤ73〉と記され、ロゴや字体にこだわったユニークなものだ。