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「相変わらず脚が上がっている!」低迷期もあったけど…田原俊彦60歳は今もキレッキレだった

2021/07/02
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 80年代、日本でもディスコ・ブームが来る……! この流れを察知したジャニー喜多川氏が、その先駆けとしてデビューさせたのが田原俊彦だったという。

 選ばれた勝負曲がレイフ・ギャレットの「New York City Nights」。このカバーアレンジをジャニー喜多川氏から提案された羽島氏。そのときの反応は、読んでいるだけでも胸が熱くなる。タイムマシンがあったなら、その場に飛んで柱の影から見守りたいくらいに!

 ジャニー喜多川さんから「こんなサウンドにできる?」と言われたとき、「もちろん!」と胸を張って答えたことを懐かしく思い出します。洋楽の影響を大きく受けていた私にとって、レイフのサウンドはビー・ジーズのダンスミュージックと同じルーツを持っていると感じていました。それまでの歌謡曲的なポップスとは違うものが作れる、こんなチャンスはないと、制作意欲を刺激された瞬間でした。――『ヒット曲は発明だ!』より引用

「もちろん!」と胸を張る――。こうしてできたのが「哀愁でいと」だ。新たなブームを仕掛ける自信とワクワクが伝わってくる一節ではないか。スターと名曲が生まれる瞬間は、裏側もエキサイティングだ!

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アイドルポップスの中でも屈指の名曲は……

 田原俊彦の数多あるヒット曲のなかでも、特筆したいのが1984年の「チャールストンにはまだ早い」(作詞・作曲:宮下智、編曲:大谷和夫)である。彼の声質、得意な音域、明るくユーモア溢れる個性、そして粋なダンディズムという魅力がすべて詰め込まれている。

 歌だけでなく、間奏のダンス、そして「フォー!」「ハッ」「カモーン!」と途中で入るシャウトも素晴らしいので、ぜひライブ動画で楽しんでほしい。聴いて良し、観て良し。歌詞もメロディも演奏もパフォーマンスが一つの渦になって、大きなオーラが出るイメージだ。

ライブで熱唱する田原俊彦(1999年撮影)

 すべての噛み合わせが抜群に上手くいき、3分くらいで一つのミュージカルを観たような気になれる曲が稀にあるが、「チャールストンにはまだ早い」はまさにそれ。80年代のアイドルポップスの中でも屈指の名曲だと思う。

 田原俊彦は1985年あたりからの模索期を乗り越え、1988年には「抱きしめてTONIGHT」が大ヒット。その後、「ごめんよ涙」「ジャングルJungle」「雨が叫んでる」とスタイリッシュな名曲を連発し、再びトップスターの座についた。

 しかし1994年、事務所移籍、そして長女誕生記者会見での「僕くらいビッグになると……」発言で炎上。しばらくの間、テレビから姿を消すことになる。

 しかし実は田原俊彦が「真のアイドル性」を発揮するのはここからだった。