「文藝春秋」6月号の特選記事を公開します。(初公開:2021年5月24日)
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「被疑者は、神戸市須磨区居住の中学3年生『A少年』、男性14歳です」
1997年6月28日、逮捕直後の記者会見。兵庫県警捜査一課長、山下征士氏(82)が明かした被疑者の“素性”に日本中が戦慄した。「酒鬼薔薇聖斗」と自ら名乗っていた被疑者は、この時から「少年A」と呼ばれることとなる。
小学6年の土師(はせ)淳くん(当時11)が殺害されてから5月24日で丸24年。捜査一課長として捜査を指揮した山下氏が、「少年A」逮捕に至るまでの過程を振り返った。(「文藝春秋」2021年6月号より)
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思わず「間違いやないか?」
当時、私が住んでいた兵庫県警の公舎にある電話が鳴ったのは、5月27日、早朝6時半過ぎのことでした。受話器をとると、県警本部の刑事部に詰めていた捜査員からの報告でした。神戸市須磨区の友が丘中学校の正門前に男の子の頭部が置かれている、と。学校の管理人が出勤したところ、切断された頭部を見つけて110番をしたということでした。
「間違いやないか?」
思わずこう言っていました。捜査員の話が現実離れしていて、マネキンや人形の類を人間と見間違えたのではないかと思ったんです。しかし、何度確認しても、「間違いない」というのです。
3日前の、5月24日の午後。須磨区在住の小学生・土師淳くんが、祖父の家に行くといって一人で自宅を出たあと行方不明となっていました。その直前、相生市で中学生による殺人死体遺棄事件が発生しており、当時、私は相生市に張りついていた。もちろん淳くんの失踪事件についても耳に入っていたので、相生から須磨署に「どうなってる?」と状況を確認する電話を入れたりしていました。
相生の事件が解決した後は、すぐに須磨の捜査本部に飛んでいきました。署も編成を組んで捜査しているものの、特に進展はなかった。26日には公開捜査に踏み切ることになるのです。
「明日は朝一で捜査本部に顔を出そうかな」
遺体発見の前日もそんなことを考えていました。そこに、男の子の首が見つかったという情報が入ってきた。行方不明だった淳くんの存在は、嫌でも頭によぎりました。これはひょっとしたら大変なことになるな——そう覚悟する一方で、何かの間違いであってほしいと祈る気持ちでした。さまざまな感情が入り混じった状態で、現場に向かいました。
中学校の正門前に到着した時には、須磨署の署員が何人かいて、すでに現場はテントで覆われていた。何よりもまず、犯人検挙のために最も重要となる現場保存、刑事部長や県警本部長への報告、広域での緊急配備を優先しました。