新橋で働く人々のオアシス
ニュー新橋ビルのSL広場口から入ってすぐの、もっとも人目につく場所にジューススタンド〈ベジタリアン〉はある。筆記体で〈Vegetarian〉と書かれたネオンが店頭を飾り、紅白に塗られた壁には効能と栄養素を手書きした紙がスペースを埋めるように貼られている。「創業50年」の貼り紙もあり、このカラフルな店がビルと同じ歳月を経てきたことを示している。
〈ベジタリアン〉のオーナー、菊地順子さんも、基本的には再開発に賛成だという。なぜ賛成なんですか? と聞くと、こう答えた。
「私、もう75歳を過ぎてるのよ、こう見えて(笑)。生きている間にどうなるのか知りたいじゃない」
菊地さんはビル竣工当時を知る最後の世代の一人だ。
当初〈ベジタリアン〉は、神田にあった青果市場の仲卸が小売部門としてスタートさせた果物店だったが、開店早々にジューススタンドに業態を変えている。
通路ですれ違うのにも苦労するほど客が訪れたというモダンなビルで、当時20代だった菊地さんは、1日に2000人もの客を捌いていたという。毎日朝から店に立ち、果物が熟したタイミングを店先で確かめ、カウンターの上のミキサーを回し続けてきた。
銀座のデパートなどからも出店の誘いが度々あったが、すべて断ってニュー新橋ビルだけで営業を続けてきた。「梅」とか「スイカ」とか、単語しか発しない無愛想なサラリーマンたちを優しく迎え、「行ってらっしゃい」と送り出してきた。
私もビルに行く度に〈ベジタリアン〉に寄って、風邪を引きそうな時には「ホットしょうが」、腹具合が悪い時には「人参リンゴ」を頼んでいる。
美味しい苺ジュースを飲ませたいと、娘を連れて店に行ったこともある。以来、菊地さんは「お子さん元気?」と声をかけてくれる。店でジュースを頼むたびに、「再開発はどうなるのかしらね?」とほんの少しの会話を交わす。
カラフルなポロシャツに、黄色いエプロンと帽子をかぶったこの店のお姉さんたちが、新橋で働く人々をずっと支えてきたのではなかったか。
菊地さんがビルの建て直しに賛成ならば、仕方ない、とも思う。
けれど、再開発によってビルが壊されてしまったら、〈ベジタリアン〉が培ってきた50年はあっさりと失われてしまうだろう。
今のビルを壊して新しい高層ビルが竣工するまでには、最短でも10年近くかかるはずだ。そこに〈ベジタリアン〉が出店したとして、その時には80半ばになる菊地さんが店に立っているだろうか。